3分間の決闘

【小説】


午後2時。あと1時間で印刷会社からの引き取り便が来る。

校了前の最終校正紙を睨みつけ、僕は修正漏れや体裁にミスがないか目を皿のようにしてチェックしていた。今度、うちの会社から出版する大型新人作家の処女作となる単行本だ。いつものことながら、もっとも気を遣い神経をすり減らす作業だ。

第一書籍編集部のミーティングテーブルを占領して全神経を校正紙に集中させていた僕に、エレベーターホールの方から女の子の悲鳴が届いた。誰かと出合い頭にぶつかったとかゴキブリが飛んできたとか、そんなレベルの悲鳴ではない。まるで地獄の底を覗いてしまったかのような、昼下がりの平穏な空気を切り裂く恐怖の叫びだ。

もしかして。僕は嫌な予感がした。また奴が人の心の闇から現れたのか。僕は自分のデスクに戻りバッグから仕込みのヌンチャクを取り出し、悲鳴のする方へと走った。

エレベーターホールには、案の定奴がいた。どうやら人事部の山田から出現したらしい。山田の奴、どんな闇を心に抱えていたんだ。ヒトの形をしたココロを持たぬモノは、このところ東京を中心に日本全国で出現し、善良な市民を襲い悪逆非道の限りを尽くしている。

奴らは初めのうち、ヒトと変わらぬ容姿をして世間に紛れて暮らしていたが、最近は闇から出現したとたんに狂暴化し、しかも激しく劣化している。目の前にいる山田から出現した奴も、鼻が溶けて口を覆い、背中には皮膚を突き破った肩甲骨が翼竜のように盛り上がっている。ここまで変態してしまっては、もう人に戻りようがない。

厄介なことになった。普段ならいくらでも相手をしてやる。けれど今は、校了間際のいちばん大事なときなんだ。1分1秒のロスが命取りになる。すでに書店の店頭ではポスターまで掲示しているビッグ・プロジェクトだ。第2の村上春樹がデビューするといっても過言ではない。だから絶対に出版スケジュールを変えるわけにはいかないんだ。

僕は短期決戦を決意した。3分で片づける。ウルトラマンならできるはずだ。そうだ、僕は子どものころ、ウルトラマンに憧れていたんだ。廃工場で夕陽をバックにメトロン星人と闘うあの美しさを・・・いや、まてよ。あれはウルトラセブンじゃないか。

まあいい。そんな記憶違いに赤字を入れている暇はない。

奴は雑誌編集部に入ったばかりのアルバイトの女の子を捕まえ、自分の体液で彼女の服や皮膚を溶かそうとしている。奴の武器は酸化した体液か。あらかた溶かしたところで喰らうつもりだろう。女の子の名前は確か、そう、ジョアンナだ。そういえば山田は以前から彼女をいやらしい目つきで見ていたっけ。ああ、そこが奴の闇だったんだ。僕は奴に向かって決闘を宣言した。

「山田!いや、ヒトの形をしたモノ、決闘だ!僕が相手をする。ジョアンナを離せ!」

奴は僕に見向きもせず、ジョナンナのひまわり柄のかわいいスカートに体液をトローリ垂らすことに集中している。ダメだ。奴は耳までただれていて僕の声が聞こえていない。では実力行使あるのみだ。僕は右手に持つヌンチャクを回しながら奴に近づき、頭がい骨に向けて振り下ろした。

その瞬間、奴はクルリと背を向け、異常に盛り上がった肩甲骨でヌンチャクを受け止めた。

グワシャッ!

ヌンチャクの鋼鉄の鞘が粉々に飛び散り、仕込みの白刃が剥き出しとなった。なんて硬い肩甲骨だ。僕は左手に鉄棒を右手に白刃を持ち、体勢を立て直した。

仕方ない、切る!僕は白刃を逆手に持ち替え、ジョアンナを抱える太い右腕を下から切り上げた。シュパッという音とともに奴の右腕が切れ、同時に体液がパッと弾けた。

襲いかかる飛沫を僕は瞬時に数えた。37粒!まだ動体視力は衰えていない。僕は上半身をぐるりと反らせて25粒をよけたが、残る12粒が下半身に降りかかり、お気に入りのジョセフのデニムをシュワシュワと溶かした。

奴はジョアンナを離し、右腕を抱えて唸り声をあげている。僕はスライディングで奴の下に潜り込み、素早くジョアンナを抱きかかえると、転がるように奴の攻撃圏内から離脱した。

「大丈夫か?」ジョアンナに声をかけると、「もーう、買ったばかりのスカートが台無しじゃないですか!どーするんですか、これ!」と高揚して赤くなった頬を膨らませて怒っている。呑気なものだ。でもそれは僕のせいじゃない。怒るなら山田、いや人の心に棲む闇に怒ってくれ。

僕は腕時計を確認した。しまった。もう90秒が経過している。ウルトラマンならあと30秒でカラータイマーが起動してしまう。

奴は右腕を押さえながら僕を見て唸り声をあげ続けている。僕は10秒で考えた。奴の体液は酸化していて切り裂けばこちらも酸を浴びる。では、打撃で頭蓋骨を割るか心臓を突きダメージを与えるか、う~ん、どうする。こんな時にスぺシウム光線が撃てたなら・・・。

「ルーーク、フォースだ、ルーーク」その時、頭のなかで声が聞こえた。

オビ=ワン・ケノービの声だ。そうだ、フォースを感じるんだ。ありがとう、オビ=ワン。

僕は目をつむりフォースに集中した。奴がのしのしと近づく気配を感じる。僕の内にフォースが徐々に満ちてくる。60パーセント、70パーセント、80パーセント。奴の気配はすぐそこまで来ている。

100パーセント。「フォースとともにあらんことを!」僕は大声で叫ぶとともにカッと目を見開いた。

奴の腕が僕の首に伸びてくる。僕は腰を沈めて奴の腕から逃れ、ヌンチャクで奴の顎を下から思い切り突いた。ゴリという音がして奴の歯が砕けた。その隙に奴の攻撃圏内から一度離れ、もう一度白刃を構えなおした。

素早く切る。体液が飛び散らないくらい、素早く!

僕はポケットからハンカチを取り出し、ひと太刀で油にまみれベタついた白刃をきれいに拭いた。時計の針は無情にも進み、残された時間はあと20秒だ。

奴が再度僕の首を捕まえようと近づいてくる。こちらの狙いも首だ。とにかく振りの速さだ。素早く鮮やかに切り裂き、そして離脱する。僕は前の決闘のために鍛えた動体視力に加え、「スターウォーズ」エピソード4を子どものころから繰り返し見続けて会得したフォースの力を借りて、奴の動きを完璧に読みきった。

奴の繰り出す左右の拳は、すべて、空を、切る。

一発目、頭を左に45度。二発目、右足を27センチ下げ半身斜めに。三発目、腰を17センチ落として、反動で奴の股間に右のニーキック!

奴は股間を押さえてうなだれた。いまだ!僕は仕込みの白刃を順手に持ち替え、左手も添え目にも止まらぬ早さで奴の首を深々と切り裂き、そのまま数メートル走り抜けた。

振り返ると、奴は首の切り口をカエルの口のように開け静止している。

やったか?

次の瞬間、切り口から酸化した血液や体液が一斉に噴出した。

ドスン!奴は倒れた。時間は?時計の針は3分ちょうどを指している。やった、これで校了に間に合う。

僕はデスクに戻ろうと奴の横を通りすぎ、倒れている奴に向かって手を合わせた。「山田、成仏しろよ」

その時、一粒の水滴が目の前で揺らいで見えた。僕は慌てて上半身を反らせて下によけた。水滴がよける僕の顔を追うように落ちてくる。床に頭がついた。水滴は目の前だ。酸に目をやられる。思わず目をつむったとき、顔に冷たいものが当たった。

首からかけていたペンダントのメダルだ。水滴はメダルにかかり、ジュッと音をたてて中和された。床に倒れたときにペンダントヘッドのコインが宙を舞い、僕の顔の上に落ちてきたんだ。

「レティシア」僕はこのペンダントの本来の持ち主の名を呼んだ。愛しい人。また助けてもらったね。コインは少しだけ溶けて、モチーフの笑った月の顔が泣いているように見えた。

さあ、校正だ。僕は校正紙を広げたミーティングテーブルに戻り、赤いボールペンを手にした。


tamito

続編「決闘! ヒーローショー」シリーズ

「真昼の決闘」へ ※本作のシリーズ前作になります。

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