深海より愛をこめて ⑦

【小説】

 

《テイク3》

 ゴォーと地下鉄の車両が風を巻いてホームに入ってくる。僕はゆっくりと目を開ける。

 ここは……地下鉄のホーム。丸ノ内線と銀座線……赤坂見附の駅だ。
 どうして僕はここに立っている? 改札に向かう人の波と電車に乗る人の波が交差する。とんでもなく邪魔なところに建ててしまった柱のように、みんなが僕をさけて足早に行き過ぎる。
 ん? 僕を睨んで近づいてくる男がいる。うっ、わざと肩をぶつけてきた。咄嗟に頭に血が昇る。だけど……前にもこんなことがあったような。

〈心で感じて〉
 胸のなかで声がする。心で、感じる…。心で……。ぼんやりした映像が脳裏に浮かぶ……。えっ、誰かがホームから落ちる? ぐるり周りを見まわして、いま〈見た〉場所を探す。あっちだ!
 人波をかき分けるように進むと、女性の短い悲鳴が聞こえた。続いて車両の急停車音。ホームに引き上げられる女性。彼女だ!! そして軌道から彼女を押し上げる男性。片岡?! 車両の制動が間に合わず、片岡を巻き込んで進む。彼女の悲鳴が構内に響きわたる。

「片岡ー!!」
 僕も叫びながら車両とホームの隙間に手を入れようとするが、後ろから誰かに引っ張られて尻もちをつく。
 間に合わなかった……。僕は、僕はどうして、ここでなにを、なぜ、片岡が……。
 頭が痺れる。めまいがする……。

 

――気づくと真っ暗な海の底だ。なんだかとても疲れている。頭が痺れる……。

「間に合わなかったのね」

ああ、人魚の君か。

「やっぱり間に合わなかった」

間に合わなかった?……あっ、片岡! 片岡が地下鉄で死んだんだ! えっ、まてよ、片岡は三年前に死んでいる。でも、いま地下鉄の軌道に落ちて……。えっ!

「間に合わなかったのよ」

そうか、僕は助けに行ったんだ。でも、間に合わなかった。 助けられなかったんだ!

「うん、どうしようかしら? もう、やめる?」

まだ、頭が混乱していて…。片岡は三年前に地下鉄で死んだ。彼女を助ける身代わりとなって。

「そう。そして、あなたはその場所にいなかった」

うん、僕はそのことを後悔していた。

「だから、リテイクになったのよ」

あ、さっきは何回目?

「テイク3」

まだ、やり直せるの?

「何度でも」

でも、向こうで気づいてすぐに行動を起こさないとどうやっても間に合わないよ。

「間に合うはずなの。だからリテイクが効くのよ」

どうしたらいいのかな?

「慣れるのよ、状況に」

何度も何度もくりかえし片岡の死を目の当たりにしろってこと?

「それはあなた次第かしら」

僕次第……?

「どう?」

どうって?

「続ける?」

続けられるなら助けたいよ。でも、どうやったら……。

「心で感じるのよ、頭で考えないで」

心で、感じる……。

「じゃあ、テイク4、行くわよ!」

ああ、片岡。僕はどうしたら君を助けられるんだ………。

 

《テイク4》

 人波のなか男が僕を睨んでいる。痛っ、わざと肩をぶつけてきた。こいつ!

 そうだ、誰かがホームから落ちるんだっけ? とにかく助けなきゃ。時間がないんだ。

 彼女だ!! なぜ彼女が? あっ、乗車の最前列から押し出されてホームに落ちた!

 ん? 誰かがホームに飛び込んだ? 片岡??

 電車が近づいて二人を巻き込む!

「片岡、こっちだ!」

 僕は手を伸ばして、彼女を引き上げる。
 車両がすぐそこまで迫る。

「片岡!! 手を!」

 僕の右手に片岡の左手が触れた。その刹那、無惨にも車両が片岡を連れてゆく。

「片岡ー!!」

 

――あああー! 間に合わないっ! 間に合わないよ。ねぇ、どうやっても間に合わない! 手に、手に触れたのに…。ほら、まだ、触れた感覚がある…。ねぇ、僕はほんとうに彼らを助けることができるの?

「あなたは何も見えていないのよ。いい? 心で感じるの、心の目で見るのよ」

そんな抽象的なことを言われてもわからないよ!

「目で見えるものには限界があるの。それはあなたの言う〈構造〉が生んだものでしょ。そんなものに囚われないで、真実を見るの!」

真実って?

「世界をより良くしたいんでしょ?」

世界をより良く…。

「テイク5、行く?」

行くしかないだろ!!!

 

《テイク5》

 痛っ! わざと肩をぶつけてきた。
 舌打ちまでして、この男、何をそんなにイラついてるんだろう……。

 

 

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