映画『いつも2人で』という夫婦の在り方

【語りたい映画①】

 

『いつも2人で』という映画は1967年の製作なのでリアルタイムでは観ていないのだけれど、二十歳を少し過ぎた頃に、映画にとても詳しい年上の女性に勧められてしぶしぶビデオで観てみた。

当時の僕はまだ青く尖っていて、名画座でゴダールやビスコンティやタルコフスキーやちょっとややこしい映画ばかりを好んで観ていたから、ヘップバーンの映画なんてバカにしていたところがあったんだ。

もちろん、いまはヘップバーンをバカにする気持ちなんて微塵も持ち合わせてはいないし、ゴダールやビスコンティやタルコフスキーのややこしさが映画の文脈を読み取るための訓練になったことも、そしてそのなかの何作かが僕のなかで熟成してベストムービーの一角を成しているのも事実だ。

この物語は『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』といったヘップバーンが最も輝いていた頃の作品とはまったく異なるタイプの、倦怠期の夫婦の話なんだ。当時彼女は38歳。たぶん、このシナリオを渡されて出演を悩んだと思う。

でも、監督は『パリの恋人』を素敵な作品に仕上げてくれて、つい4年前には『シャレード』で自分に新しい立ち位置を用意してくれたスタンリー・ドーネン。それに音楽は彼女が絶対的な信頼を置くヘンリー・マンシーニだし、この二人がいてくれたなら決してつらいだけの中年女性の映画にはならないはず――。ヘップバーンはきっとそう思って出演を決めたに違いない。

いや、むしろマネージメントの反対を押しきってまで彼女が積極的に望んだのかもしれない。マネージメントにとってヘップバーンはいつまでもアン王女(『ローマの休日』での役名)でい続けなければならないし、この役のリスクの大きさは十分に理解していたはずだからだ。それほどシナリオから読み取れた役柄は「さびしい夫婦の現実」だった。でも――。

物語は大きく4つの旅で構成される。出会いの旅、新婚旅行、子連れの家族旅行、そしてpresent dayにあたる冷めきった中年夫婦の旅〈いま〉。悲喜こもごも、さまざまな人たちとの出会いと別れ。それぞれの時代の旅が入り交じり、二人がともにした半生が時を超えて交差する。

「あの黙って座るふたりは誰?」
新婚の旅先のレストラン、彼女が中年夫婦を見て彼に尋ねる。
「夫婦さ」
彼が答える。
でも、次のシークエンスでその席に座っている二人は……。

決してつらいだけのエンディングではない。いろんなことを超えてきた二人が国境を越えてゆく姿に、ああ、夫婦とはこういうものかと腑に落ちた。そして観賞後、作中繰り返し流れていたマンシーニのもの悲しい、けれど温かみのある調べが心のひだの奥の奥まで沁みいっている。

余談だが、後年、日本におけるヘンリー・マンシー二楽団に所属しているというチェリストと居酒屋のカウンターで隣り合わせたことがあった。その時に彼女はこう言っていた。「ヘンリーが最も愛していた曲は、『ムーンリバー』でも『ひまわり』でもなく、『Two for the Road(いつも2人で)』だった」と。

初見では、実はその良さが理解できなかった。二十二、三歳であれば無理もない、といまでは思う。でも、何かが胸にひっかかって二度三度。気づけば一週間で十回以上観ていた。そうして自分が歳を取るごとに見続けて、もう、何回観たかは覚えていない。

だから、僕が人生でいちばん繰り返し観た映画は、この『いつも2人で』で、これまでも、そしてこれからも、これ以上に時間を費やす作品はないと思うんだ。

 

tamito

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