贖罪 穴

【小説】

 

 目を覚ますと暗闇のなかにいた。あまりに暗いので目を開けているのか閉じているのかさえわからない。ここはどこだ、僕は溺れて死んだのだろうか。しだいに意識がはっきりしてくると、猛烈な寒さを感じた。身体が氷のように冷えきっていて歯が噛み合わない。僕は冷えて硬直した身体をゆっくりと起こしてなんとか立ちあがった。
 すると後方から光を感じた。振り返ると光は徐々に近づいてきて、僕はとっさにその軌道からよけた。光は僕の真横で止まり、誰かが声を発する。
「いました! 先生、いましたよ!」
 薄闇で目を凝らすと、そこにはあのクリニックのいい加減な院長といつも立ちあっている看護師がいた。
「大丈夫でしたか? あなたを探していたんですよ。薬はまだありますか?」
 と院長が言って、看護師が僕に薬の袋を手渡す。
「これはちょっと強い薬ですが、なに常習性はありませんから、いつでも止められますから」
 なんでこんなところに院長がいるんだろう、この状況はいったいなんなのだろう、疑問が渦巻くなか、院長のいつもの常套句がやたらと頭にきて、僕は初めて彼に文句を言った。
「強い薬とか言って、効き目があったことなんて一度もないんですよ。だいたい、院長は僕の病名さえ特定できないじゃないですか」
「うん、いいですよ、その反応。やはり薬の効果が出ているようです。うん、うん。いい、いい。それより暖かいところへ行きましょう、さあ」
 院長の手につかまり僕はトロッコみたいな乗り物にのった。そして看護師が梃子を押すと乗り物は前へと進み、しばらくすると明るい広場へと出た。

 そうか、ここは地下鉄のホームなんだ。ということは世界は終焉を迎えたのだろうか。
 ホームには人がごった返していて、みなワイワイとなんだか楽しそうにしている。でもなんだかおかしい。着ている服が様々で和装姿の男の人も多い。僕は寒くて震える身体を両腕で支えながら、焚き火をしている一角へと近づいた。
 暖かい。身体をさすりながら暖を取っていると、目の前に湯気の立ったスープが差し出された。
「これを飲みなさい。温まるし栄養もある」
 院長が医者特有の薄ら笑いを浮かべて、「さあ」とスープ皿と木製の大きなスプーンを僕に持たせる。スープ皿を覗くと、灰色に濁る液体のなかに赤黒い物体が見え隠れする。
 これは、たぶん、アレだ。きっと地下道に生息するアレに違いない。
 僕が躊躇していると、横から手が伸びて皿を奪った。

「こんなもの食べちゃだめだ」
 そう言う人の顔を見て、僕は不思議な気持ちになった。この顔を僕は知っている。誰だったろう。
「この世界は危うい。きみがいるべき場所じゃない」
 そうだ。彼はもうひとりの僕だ。いや、正確には死んだ僕の友人だ。名前を〈片岡〉という。
「さあ、逃げるんだ!」
 片岡が僕の腕を掴み、地下鉄の軌道へと飛び降りた。

 

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#小説 #もうひとりの僕 #贖罪

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