立憲民主党がなぜここまで駄目になったのか

立憲民主党と国民民主党が、政権欲しさに合流して結局愛想を尽かされた、之に尽きる。

立憲民主党設立時に遡っても、そもそも、保守系の人たち(だが当時の安倍政権に対する様々な反対意見を持っていた)は希望の党へと向かい、
一方で民主党のほぼリベラルから左翼、もしくは保守のなかでもリベラルよりと感じれる人たちは、立憲民主党から出馬した。それでよかったのである。

枝野氏を押したほとんどの人は、実際、リベラルとして、自民党や希望の党(新たに生まれる、もう一つの政権交代を目指す保守政党)に代わる極を求めたわけだ。本人が、自分は右とか左とか関係ないといったところで、所詮右、左、保守、リベラルなんてのは、本人がどう考えているかなんか関係ない。周りが枝野をリベラルの旗として掲げたのは間違いない。

選挙直前だったので、当然少しでも参加議員(あるいは、立候補者)を集めなければいけないが、何よりも大事だったのは、かつて様々な野党が分裂したような失敗を二度と起こさないように、しっかりと足元を固めてから、少しずつ本当に同じ政治改革を志すメンバーを集めなければならなかった。

ところが、希望の党がこけそうとなると、今度は保守的な有権者(だが、自民党には勝ってほしくないと思っているらしい)著名人とか、そして希望の党から立候補することが決まっていたにも関わらず、頼まれてもいないのに、中途半端に共闘のようなものをもちかけてきたり、さんざんリベラルはとバカにしていた人が、なぜか(立憲民主党に勢いがあるという理由だけで)積極的に、立憲民主党に口出しを始めたのだった。その時よくいわれたのが、なるべく左とか右とか言わないで、むしろ保守派の有権者にも裾野を広げようとか、もともと同じ民主党なんだから、仲間じゃないかとか。
今は、打倒安倍政権であって、希望の党でもいい議員さんはいるとか、ちほうによっては共闘だとか。 いや、こっちはそんなの全然必要ないと思っていたのだ。

たとえ、10人でも20人でも、中途半端な2大保守政党ではなくて、それこそリベラルから左よりの政治家たちの結集を期待していた。(そこで多少の幅があるのは仕方がない)

結果的に、元の民主党時代と同じく、保守とリベラルから元社会党議員さんまで(其の幅もかなり広い)ごった煮状態で、権力欲しさだけに自民党と対決姿勢を見せるという茶番になってしまったのだ。 立憲民主党は一定の議席を得て、すくなくとも、今後何十年家の基盤はできたとは思った。(リベラルな政権を作るという意味で)ところが、やはりというか当然と言うか、本来は自民党でも希望の党でもさほど変わらない人たちが、かつての仲間とかいうことで、やってきて、一緒に自民党と戦おう(政策のすり合わせなど殆どなく、個々の本質的なイデオロギーなど全く変わっていない)ということで、野合してしまった。 仮に2つがくっつくなら、保守派がリベラルへと動かなければならなかったのだが、そうではなく、文字通り、結果的にだ、乗っ取られたのだ。

今、再び松下政経塾の卒業生たちが、うじゃうじゃ立憲民主党の中枢にいる。そもそも、大企業のトップが考えた政権交代など、リベラルであるわけがないのだ。なぜなら、リベラルとは、基本大企業には抑制を求め、より社会貢献を求め、そして法人税を上げることを望むからだ。

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