趣味の店
今の仕事を引退したら、(今は自営だし誰かに引き継ぐつもりがないので、店をたたむ)ってことを考えた時、次は何をしようかと最近良く考える。もっとももう生活するための仕事ではなく、ほぼ完全に「趣味の店」となるはずだが。
幸いなことに、あるいは運が良かったから、もしくは自分なりに無茶なことをせず一応地道にやってきたから、普通に暮らしていけば自分の命が終わるまでぐらいなら、国や地方に頼らずとも生活はしていけるだろう。断捨離するものはして最後は自宅か自宅近くに趣味の店を開ければ、私なりにまぁ、最高ではなくも、十分面白い人生だったと、思えるだろう。
私は自分一人の時間をとても大切にしているが、誰かと直接会話したりやりとりして、何らかのサービスを提供するのが、自分の仕事としては好きなのだ。でも、ともかく忙しいのは嫌いだ。こればっかりは年を取ったなと思ってしまう。
20代から30代前半の頃のように、厨房とカウンターを行ったり来たりし、手首が痙攣するぐらいシェイカーをふり、ピックで氷を砕き、愛想笑いを振りまき、アレこの話昨日も他の客に話したな、まぁいいか、、とウケているのに不必要な罪悪感を覚えながら、最後の客が店を出るのをなんとか見送ったときには頭の中真っ白で、その疲労感に充実を感じ、誰もいなくなった店のカウンターに座って、今日も元気だタバコが美味いと、Winstonを一本取り出し吐き出す煙に浸れるような肉体労働の喜びは、やはり若さの特権なのかもしれない。
今の理想としては、自分の趣味に没頭しながら、時たま来た人と話し、(理想は自分の趣味に近い人達) 時たまそこにある商品を購入して「少しばかりのお布施?」してもらうのが、一番いい。そんなに甘くない?うん、わかってる。
でも忙しくないと、私のサービス精神度、他者への共感度は格段にアップするので、たぶん何か飲み物とか、あるものは出すかもしれない。
色々考えるとやはり、それは、ちょっとしたスペースが有る、多様な娯楽のための本、中々もう手に入らない少女漫画とか、「レトロゲームの置いてある、交流スペース」になるのかもしれない。おっと、私の大好きな性的コンテンツも当然置くのだが、この場合のゾーニングの仕方は結構難しいだろう。
となると、マンガ喫茶も悪くないが、それだと24時間営業になるだろうし、そもそもマンガ喫茶は、基本的に個人の世界にどっぷりハマる場所だと思うので、(もちろん、寝るためだけとかも当然あるが。そう言えば、自分もモラトリアム放浪期に、マンガ喫茶で寝泊まりしてたことがある。毎日決まったメニューを注文し、同じものを飲み、本当にお世話になった、、。)したければ会話もできる交流スペースのある何かではない気がする。
こんな風に、次の仕事を考える時に採算を取る事をあまり考えなくていいのは、幸せだ。ところが、おそらくだが始めると、維持費とかだけでも、結構かかる。人を一人雇うだけで、とてもじゃないがそんな気楽なお店でまかなえないだろう。 やはり、ほんとうの意味でのスタイルじゃない、完全な趣味の店っていうのは、創作物や妄想に過ぎないのかもしれないが、そんなささやかな未来を考えているだけで、つい口元が緩んでしまう。
もっとも、もうお金が、その捨て場所を探しているぐらいにあるなら、話は違うんだけど。結局は自分が今あるもので、最大限人生を楽しむしかないのだし。大して何も持っていなくても、持っていないなりに楽しみ方はある。だから、生きていればなんとかなる。
しょいきれない、色んなモノが周りにくっつきすぎて、本当に生きづらいとか、息ができないぐらいなら、捨てて楽になれるものがあるなら、自分から捨てた方がいい。
私が自暴自棄になっているのに、気づいたのだろう。 当時働いていたバーのマスターが言った、「まずは自分を大切にしなきゃだめだよ。自分を大切にできない人は、やっぱり人を大切にできない、人を笑顔にできないから」という言葉は、その時からずっと今まで、私を導く灯として昼も夜も心の奥底でともっている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?