政治における宗教からの完全解放

イスラエルも当然含めた、ほとんどの中東問題が、民主的対話で解決しないのは、民族の思考に宗教が染み付いているからに他ならない。そして、民衆の宗教性は、必ず民衆の統治に利用されるのである。

アラブの春が上手くいかなかったのは、民衆にとっての民主主義に基づく政治とは、自分たちの代表で話し合い決めることなのだという原則が重視されず、宗教特有の、リーダーが神に選ばれるとか、宗教指導者の教えを民主主義のリーダーよりも優先するという、お約束をそのまま引きずっていたからであろう。

ハマスという宗教色の濃い武装集団の、有力な創設者の息子が、イスラエルの公安組織に捕まり、イスラエルのスパイとなって働く。彼は、ハマスを存分に糾弾する。一方で、イスラエルの組織(彼を殺さず利用することに決めた公安組織)やイスラエル政府への批判は、ほとんどない。

それは私にとっては新たな洗脳にしか思えないし、もしも完全な自由意志とするなら、あまりにもハマスの問題点を知りすぎているからこそ、自分を庇護する組織となったイスラエル公安組織(あえていうと、利用されているのだ)への忠誠がどこまでも大きくなり、同族嫌悪で自分が属していた集団をもはや客観的には見れないのだろうと考えるしか無い。

(ちなみに、彼の父親(西岸地区での報道官)は何度もイスラエルに投獄されていて、今回のガザ地区での、ハマス軍事部門によるテロ行為を含む、イスラエル側への奇襲攻撃でも、当然のように捕まっている)

そんなハマスの息子、モサブ・ハッサン・ユセフは,2007年からアメリカ国民となり、彼はキリスト教に改宗し、キリスト教徒の立場で、現イスラエル政権のガザで行っているジェノサイドを支持し、イスラムやハマスへの批判を続けるわけだ。

本当は、きっとみなわかっているはずだ。そもそも、ユダヤ教からキリスト教、そしてイスラム教へと続く、一神教の系譜は、少なくとも現代社会においては、物語サークル、個人的哲学サークルとしての意味しか持つべきではないと。

宗教のもとに行われる、いかなる武力行使も政治的決断も、(もちろんテロ活動も)正当性などどこにもない。政治的正当性や軍事力、武力行使を語る時に宗教ほど遠くにあるべき存在はないのだ。

宗教ができるのは、せいぜい被害者の心のケアであろう。





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