「人と組織」が日本社会の足かせではないか

私の仕事の専門は法務ですが、社内コンサル的な仕事も行うことがあります。

いきなり話が脱線しますが、法務という仕事を抽象化すると、「現状把握→あるべき姿の設定→原因の抽出→課題の設定→打ち手の提案」という思考のプロセスを辿るので、結構コンサル的な仕事と親和性が高いのではないかと思います。とはいえ法務という職種が取っ付きにくいと言われるのは、使用する用語が独特なので、注意しないとコミュニケーションが下手になってしまう点だと思います。

さて、久しぶりにシステム開発を求められる社内プロジェクトに参画したので、昔経験した別のシステム開発プロジェクトについて、自分の備忘を兼ねて考えたことや感じたことを記録に残しておきたいと思います。

プロジェクトの概要

私が所属していたとある事業部門において、社内の販売管理に使用しているシステムが使いづらいというクレームが事の発端でした。

私自身はその部門でも法務として契約審査や法務相談を受けていましたので、販売管理の業務に従事していたわけではなく、販売管理の業務プロセスやシステムの導入経緯、システムの仕様について全く知識がありませんでした。

なぜか「プロジェクトリーダーとしてシステムをよしなに改良してくれ」と命を受けまして、プロジェクトリーダーになりました。そこで、業務プロセスやシステムの導入経緯・仕様を調べるという現状把握から開始しました。縦割りというか何と言うか、とにかく業務は部署ごとに分業されているのですが、なかなか「部署間の業務のつながり」を説明できる人がいないので、仮説を立ててヒアリングをするということが繰り返されました…。その後、関係部署との調整をしながら(これがとても大変)、あるべき姿の設定、原因の究明、課題の特定、システムの要件定義に奔走するという日々でした。

プロジェクトオーナーが不明瞭、予算が不明瞭、私の権限が不明瞭という何ともふわっとしたプロジェクトでしたが、何とかシステムの要件定義まで行いました。

システムの要件定義の際には、いくつかのシステム改良案を作成しました。改良案ごとにROI(Return On Investment。投資回収率)を算出して上層部に提示しましたが、社内の色々な事情により、このプロジェクトは中止となりました。

プロジェクトの中止理由

プロジェクトの中止理由については、当時の社内状況から色々(社内政治も含めて)考えられるのですが、ひとつ大きかったのは誰もが納得できる理由がなかったからと考えられます。このプロジェクトは一応「合議制」ということで物事を進めていましたので、全員の共通理解を得る必要がありました。

会社の売上に直接的に関与しない業務の改善効果については、「改善したら●●円売上が上がる」という誰もが理解しやすい指標がないため、その効果を示して全員の共通理解を得ることが非常に困難です。

このプロジェクトでは、新しいシステムを導入することで販売管理に従事する人が減ることになりますので、プロジェクトチームとしては「削減される人件費」を改善効果として提示しました。定性的な効果を述べるよりも、定量的な効果を述べた方が理解を得られる可能性が高く、また、投資案件では一定のROIが社内で求められたからです。

しかし、数字上は見事に算出できていましたが、日本の法規制上、簡単に人を解雇することはできませんし、販売管理に従事していた人を社内で別の仕事に従事させることも難しいので、実際問題として「人を減らせない」ことがボトルネックになりました。

人を減らせないのでテクノロジーの導入が進まないという病巣

これは自分のなかでかなり衝撃を受けました。

私が提示したシステムの改良案では、ほぼ1年で投資したお金は回収できるので、システムを5年、10年と使っていくと、その分プラスにしかならないので、経営における経済合理性で考えれば明らかにメリットしかない提案がなぜ受け入れられないのだろうと疑問しかありませんでした。

更に、当時もそうでしたが、日本社会全体で「人手不足」と言われており、かつ、社内でどの部署も「人手不足」と言っている状況で、せっかく余った人材を活用することができない状況に愕然としました。

このように、人を減らせないのでテクノロジーの導入が進まないという状況は日本の多くの企業で起きている状況ではないでしょうか。

理由は2つあると思っています。

  1. 経営者目線の理由
    新しいテクノロジーを導入しても、解雇はできず、かといって他で人を活用する方法がないから人件費は変わらず儲からない

  2. 労働者目線の理由
    新しいテクノロジーが導入されると現在の自分の仕事がなくなり、かといって他の仕事に従事する能力がなかったり、あったとしてもすぐには見つからないことがあるので生活に困る

ちなみに、補足しておくと経済成長のドライバーは、①人口増加、②天然資源の活用、③テクノロジーと言われており、経済成長を目指すなら日本においてテクノロジーは不可欠だと考えております。都知事選に出馬された安野さんのお言葉をお借りしました。

処方箋①:解雇規制の緩和により雇用の流動性を上げること

経営者が社内で労働者を余剰に抱え込むくらいなら、社外に放出した方がよいと考えています。余剰人員は会社のお金を無駄に流出させることになります。労働者にとっても何かよく分からない仕事をさせられるくらいなら、社会にとって価値のある仕事をした方がよいと思います。

そういえば、私の父親世代から聞いた話ですが、昭和の時代は人を解雇することができないので、余剰人員を送り込む部署(社史編纂室とか)があったと聞きました。

さて、考えられる方向性は二つあるわけですが、ひとつは労働者自身が積極的に転職をするというようなインセンティブを働かせることです。昔に比べれば転職が当たり前の時代になりましたが、とはいえ供給(求人)が足りなければ需要(求職者)も増えませんので、供給を増やすことも必要になります。

ふたつめは会社側(経営者)が積極的に求人を出すインセンティブを働かせることです。会社は、売上によって支出できる人件費の総額がそれなりに決まってくると思いますので、売上が変わらない状況では人を入れ替えることしかできないと考えられます。つまり、売上を上げるか、人を入れ替える状況を作ることが求人を増やすことにつながると考えられます。

後者の「人を入れ替える状況を作ること」というのは、これは会社のビジネスモデルを変えることによって生じると考えています。新しい事業を実施するためには、新しい事業に特化した人材を採用する必要があるからです。

私は、既存の事業会社が新規事業に挑戦することが少ないのではないかと感じています。新規事業を探している会社は、既存の事業には手を付けず、新規事業推進室を新設したり、スタートアップに少額投資をしたりすることが多いのではないでしょうか。(このあたりのデータが見つかっていないので印象ですが…。)その点で富士フィルムはすごいなと思います。ビジネスモデルを転換するという意思決定と、それを実行したことがすごいと思っています。

話を戻すと、新規事業を探している理由は、既存の事業が成熟したり、売上が下がっているからと考えられます。そうすると、一概に既存の事業に手を付けないこと自体を悪とは言いませんが、将来性のない既存の事業に資本を投下し続けるのは無駄なように思います。

ではなぜ将来性のない既存の事業に資本を投下し続けているかというと、従業員(特に正社員)をやめさせられないからという理由があるように思います。

経営者は、法的には簡単にやめさせられない、新しい人も簡単に採用できない、そういう考えによって、雇用を現状維持することが合理的に選択されているように思います。

雇用の流動性を高めることは、経営者にとっては解雇できないという状況が緩和される、労働者にとっては次の働き口が見つかりやすいという双方にメリットがあるため、手始めに解雇規制を緩める方向で社会的に制度設計した方がよいのではないかと考えております。

処方箋②:政府が個人の生存権を保障すること

とはいえ、解雇規制を緩めることは、経済にとっては労働生産性の向上等プラスに働く可能性が高いですが、別の問題が発生する可能性があります。

なお、ここでいう労働生産性というのは、GDPを、就業者数の総労働時間で割った「マンアワーの労働生産性」や、就業者数で割った「一人当たりの労働生産性」を言っています。自分の給料(年収)を自分の年間の労働時間で割るという意味の生産性ではありません。(GDPが上がれば給料が増えるわけではありませんからね。)

現在の日本の完全失業率は2.5%程度で推移しており、非常に低い数字となっております。

https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.html

失業率が低いことは犯罪率の低下等につながり、社会が安定すると言われています。

しかし一方で、労働生産性が高く、GDPも伸びているアメリカでは、多くの都市で街中にホームレスがあふれて全然社会保障も充実しないし、医療費もめちゃくちゃ高いという現実があります。

日本の未来、本当に大丈夫なんですか会議 経済学×社会学で社会課題を解決する
西田 亮介 (著), 安田 洋祐 (著)
https://a.r10.to/hkobBw

日本が治安の良い社会になっているのは、現在の日本型の雇用習慣と日本の社会保障システムが連携してまだ機能しているからと考えられます。

したがって、日本の雇用習慣のひとつである厳しい解雇規制を緩めてしまうと、社会が変わってしまう可能性があると考えられます。

ではなぜ変わってしまうのかというと、現在は企業がある種のベーシックインカムのように個人の生存権を支えていると考えられるからです。成果を出せない社員に対しても、会社は給料を支払ってくれるからです。

果たして企業が社会保障のような形で個人の生存権を支えるという構図は今後の日本社会にとってもプラスなのでしょうか?

個人の価値観の変化、寿命の変化、グローバル経済・グローバル社会の進展等により、我々を取り巻く環境は変化していると考えられます。この変化の流れは今後も続くと予想されますし、少なくとも何かしら環境が変わるということは間違いないでしょう。

過去の一時点の環境では、日本型の雇用習慣と日本の社会保障システムというのは経済的にも社会的にもとても良いシステムだったと考えらえますが、それはもう通用しないように感じますし、環境に合わせてシステムも変化させるべきです。

個人単位で考えると、生活を人質に取られるような形で仕事をさせられるのは不幸ですし、社会全体から見ても、活力のある個人が仕事だけではなく、何か前向きな活動をしている方がプラスに働くと考えられます。

そこで、雇用以外の方法によって個人の生存権を安定的に支えることができれば、経済を成長させる人、経済指標には現れないけれども社会にとって有益な活動をする人、そんな多様な活動をする人材が社会にあふれるのではないかと思っております。

雇用以外の方法によって個人の生存権を安定的に支える方法とは何かですが、これはまだ自分のなかで明確になっていません。資本主義社会においては金銭的なサポートが必要不可欠ですので、お金を稼ぐか、お金を与えられるかの2択しかなく、お金を与えられるのは政府しかないのでは?と考えているところです。

まとめ

人を減らせないのでテクノロジーの導入が進まないという病巣の理由について解説し、その処方箋として①解雇規制の緩和により雇用の流動性を上げること、②政府が個人の生存権を保障することという二つの処方箋が同時に処方されるべしと提案しました。

別の処方箋として、「人(個人)」に注目して、個人がスキルアップするという処方箋が考えられます。

どんな仕事でも対応できる人材は、他の仕事に回ることができるので、「教育をする」「教育を受ける(学ぶ)」ということが重要になると考えられますが、それはまた別の機会に考えたいと思います。

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