悩み事は優しさの種
#マシュマロを投げ合おう
に投稿される質問の中には
真剣な悩みも含まれています。
自分だったらどう考えるか
どのような解決策を提示するのか
という思考が生まれるので
とても良い学びや気付きが多いです。
今回の質問は
本当に心の中で葛藤が生じているんだろうなと
質問主の優しさと迷いとの凌ぎ合いが
見えてくるようです。
長文ですが、お付き合いいただけたら。
Question
失礼な質問でしたらすいません。研修医上がりの美容系に進んだ医師が2000万とか稼ぐことに対して不快な気持ちを感じますか?
僕はどうしてもそういったコンプレックスビジネスに対してよく思う気持ちがないのと自身のくだらないプライドが邪魔をして その道を進むことはできそうにないのですが嫉妬心が抑えられません。どこか見下していかないとやりきれません。
この気持ちにどう付き合っていけばいいのでしょうか
Answer
約1か月ほど経ってしまいました、遅れて申し訳ありません。その間、何度かこの質問を思い出しては回答を考えましたが100文字では無理でした。諦めて長文回答にシフトしますので、お付き合いください。
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まず冒頭の質問の回答は
「以前はyesだった」
「今はnoだ」です。
私も同じようなことを考え
似たような気持ちを抱いたことがあります。
正直に申しますと。
今なら
当時「yes」と考えていた
自分の深層心理をある程度、言語化できます。
iいや、できるようになりました。
したがって
質問主さんの考えや心理には
共感できるものが含まれているのです。
以下、
当時の自分への戒めというか
自分の深層心理への戒めとして
できる限り丁寧に答えていきたいと思います。
まず、大枠として
yesからnoに回答が変遷した理由を三つ挙げます。
①
友人、後輩、予備校の教え子に
美容形成外科の医師がいて
純粋に応援したいと思うから。
②
相談の矢印の向きが
錯覚を生じやすくさせるから。
③
医学教育に熱心になったとき
同じような境遇になりメタ認知できたから。
①自分の周囲の評価基準とその外側と
最初に「yesだった」と回答した
その背景には
私の職歴が関係していると思います。
初期研修は大学病院で、
後期研修以降はいわゆる市中の救急病院で
来る日も来る日も救急の最前線で
臨床医をしながら自身の研修を兼ねていました。
その環境に慣れてしまうと職場や社会の評価軸は
「救急搬送数」
「救急応需率」
「勤務時間」
「繁忙さ」などの
臨床的な指標に限定されます。
無駄なもの(noise)は削ぎ落とし
有効打(signal)をとにかく増やし
S/N比を上げた者が勝ちです。
そのような土壌の上で
働いている人間からすれば
自分たちの評価軸以外で
考えることが難しくなるのです。
閉鎖されたコミュニティーでの
signalとnoiseといった
価値判断になり、
signal = 正義
noise = 悪
という発想になりがちです。
ただ、個人的に
大学の後輩や予備校の教え子の中に
美容形成外科の医師がいて
彼らの人間性を思い浮かべてみても
応援したい人ばかりなので
認識の歪みのようなものが
一度はリセットされたように思えます。
仕事では決して
クロスオーバーすることは
無いのでしょうけど、
彼ら、彼女らの選んだ道を尊重したいし、
生き生きと仕事をして
プライベートも充実させて
家族を大切にしている姿は
外部からの価値観でジャッジされるものでは
ないと考えています。
②矢印の向きが権威主義を生む?
相談の矢印の向きが錯覚を生じやすくさせる
ということについて少し説明を加えます。
具体例を挙げた方が
わかりやすいと思うので
・救急隊
・ER初療医
・入院担当医
という3職種で考えます。
まず、
ER初療医ですが、
初期研修医も該当しますし救急科専門医も勿論、
このグループに属します。
この立場の医師群は
・救急隊からの受入要請に応需をする
・入院が必要な場合に当該科に入院依頼をする
という立ち位置です。
したがって、
救急隊からはほぼ一方的に相談を受けますし、
入院担当科(専門科)には逆に相談をもちかける
という大まかな流れがあります。
矢印で書くとこうなります。
救 初 専
急 → 療 → 門
隊 医 科
そうすると、
矢印の下流ほど相談を受けやすい立場になり
お願いをされやすいという構図になります。
これが積もりに積もって
勘違いのような錯覚を生じやすくさせるのでしょう。
役割や立場という理由で
たまたま相談やお願いの数・頻度が
多くなっているだけなのに
まるで自分が偉くなったかのような振る舞いを
ついついしてしまわないでしょうか。
横柄な態度になったり
無礼な言動を無意識にしてしまったり
してはいないでしょうか。
(自分たちへの自戒も込めて)
今回はたまたま
私に身近な3つのポジションを例に挙げましたが
病診連携や、病病連携、
院内の他職種連携、
院内の他科コンサルト等で
似たような現象が見受けられませんか。
先ほど挙げた矢印の向き(→)の
逆方向(←)には
「いつもありがとう」の言葉や態度が
実に大事だったりしますが、
それが出来ている人は一部のように思えます。
逆に出来ている職場は
とても雰囲気が良いです。
さて、話を戻してみます。
質問主さんが挙げた科は一般的な診療科にとって
相談の矢印の向きがほぼ一定に限られてしまうのが
その偏見を助長させているのかな
という考察をしてみました。
手術に失敗して、合併症が生じて、
という紹介は一定確率で生じます。
他方、市中の診療科から
その科へ紹介が発生することは
保険診療の観点からも皆無でしょう。
上記①・②に
何かキャッチーな言葉を与えるとするのならば、
「排他」
「一種の権力主義」
なんてどうでしょうか。
①は自分の価値基準の外側にある概念や存在に対して
思考停止的に排他しようという心理が生じやすいです。
②はまさに
権力(という錯覚)による
上下関係という支配欲が正体なのかもしれません。
③自分も同じような経験を味わった
医学教育に熱心になったとき
同じような境遇になりメタ認知できた
というのは
個人的な経験から来るものです。
私は医学教育に熱意を注いで
日々過ごしています。
ただ、例えば、
例えばの話ですよ、
先ほどのような「THE臨床」の価値基準が
絶対的な病院で働いていたときに
医学教育は人によってはnoiseに見えてしまうのです。
・我々がこんなに忙しく働いているのに
・臨床に貢献しているのに
・朝から夜遅くまで 汗水たらして
頑張っているというのに
なぜ民谷は学生と楽しそうに話をしているだけで
同じ額(=規定内の報酬)を貰っているんだ?と
面と向かって言われることも
陰口たたかれて言われることも
容易に想像できませんか?
例えばの話ですよ。
そこには
医学教育を評価する基準が存在していないんです。
このときの構図って
自分が美容形成外科に対して抱いていた感情と
同じじゃないのか?
って思います。
結局は
自分たちの評価基準外のものは
排他することでしか、
そして
閉鎖空間内の評価軸で
上下関係を誇示することでしか、
って思うと、
適切な評価軸を持てないなら
他者をジャッジしては
いけないと思うのです。
悩み事は優しさの素
以上を踏まえて
クロージングに向けていきます。
美容系の医師が
多額の収入を稼ぐことを
不快に感じるか?
答えは、
「以前はyes、今はno」
私には彼らを適切に評価するだけの
基準や軸を持ち合わせていないからです。
「嫉妬心が抑えられない」
「どこか見下していかないとやりきれません」
この自己分析は素晴らしいと思いました。
匿名のQ&Aサービスだからこそ
言えた心の悲鳴かもしれませんが、
同じような悩みを抱えている人が
必ずどこかにいるはずです。
問題視できている部分と
葛藤して奮闘している部分とが
苦しそうではありますが、
とても大切な悩み事のように思えました。
簡単に解決できることではありませんが、
また、
納得の行く答えが出るとも限りませんが、
悩み事は優しさの素だと思うのです。
いつか芽が出て花が開き実を結ぶかもしれませんし。
私も、非臨床の領域で排他やマウンティング、
理不尽な誹謗中傷や印象操作を受けたことがあります。
その源を辿ると、
叩く対象がいなくなれば また別の誰かを話題にして
同じようなことを繰り返すような人です。
また、口にしないまでも同じような陰性感情を
抱いている人もいるかもしれません。
質問者の方はおそらく、
陰性感情を抱いたとしても
決して口にしないような群に
属しているとは思いますが
いかがでしょうか?
最優先すべきは
自分がどうしたいかだと思います。
もしかしたら、いちばん良いのは
「気にしない」
ってことかもしれません。
自分は自分、他人は他人。
自分に対する
自己評価と他己評価は本質的にも大事だけど、
自分以外に対する評価は必要性が無ければしない。
結語
最後に、
質問の最終行に対するコメントです。
「この気持ちに
どう付き合って
いけばいいのでしょうか?」
案① 徹底的に向き合って納得させる
案② 気にしない
どちらも正解だと思います。
多様性を受容するだけの寛容さも
気持ちを切り替える機転も
高度な技術ですが
大事なスキルだと思います。
また、思っているだけで
実際に言動を起こしていなければ
誰かの足を引っ張るわけでもないので
無害だと思うので
思うだけなら自由かと思います。
「また毒を吐いちまったぜ、
心の中だけど、てへっ」
くらいなら良いんじゃないでしょうか。
心の声が漏れ出ない努力は必要ですが。
もしかしたら
以前の自分だったら
「そんな陰性感情、持つもんじゃない」
って思考停止していたかもしれません。
そうじゃなくて、
向き合って、何が苦しいのか
って悩むことの方が
ずっと価値があると思うのです。
いつか
良い着地点が見つかると良いですね。
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