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みなさん、はじめまして。たみと申します。

noteを始めたばかりです。よろしくお願いします。

私の自己紹介をさせてください。とっても長いです!

幼少期からお三味線を習い、13歳より音楽大学入学を目指して音大受験戦争に参戦。

音大受験勉強中に、「わたしなんて、演奏家になれない」と、自分で勝手にマイナスな自己暗示をかけてしまい

もっと人に寄り添いながら音楽と触れ合える音楽療法士を目指すようになる。

音大受験期に音楽を演奏するために大切な手指を痛めないために運動は一切禁止でありました。

そのため、いつもぽっちゃり体系で、それがコンプレックスでした。

(当時付き合っていた年上の彼に、常に太ってると言われ、最初はそれに洗脳されて、私=太ってる、

の方程式が出来ていましたが、突然気づきが舞い降りてきて、この人は私の人生には要らない!と別れて清々する♡)

でも、やっぱり動かなすぎは体に悪いねってことで、スポーツジムに入会し、エアロビクスやヨガに出会い、

自分が水泳好きで、意外にも小さいころから実はスポーツ大好きだったことに気が付く。(球技は全くダメ~)

2000年より高齢者福祉施設などで音楽療法士のアシスタントを始める。

2002年より都内に所在する精神科・心療内科病院で専属の音楽療法士として勤務。

情熱と希望に満ち溢れ、やる気満々な私でしたが、、、

2年も精神病院で勤務しないうちに、全く情熱とやる気のない先輩音楽療法士のマイナスエネルギーに影響されて、

うつ病にかかってしまい、人生でとても辛い時期を過ごす。

うつ病にかかっている間、

「この歳でまだ実家にいて、仕事もしないで、外にも出られないで、やる気もないし、

なんだか寒いし怖いし、みんなに迷惑かけて申し訳ない、自分なんて生きていていいのだろうか?」

と自問する日々。

ダラダラ休職を続けていては、世間に申し訳ないと思い、退職する。

薬は、病院で働いていた時の経験により、服薬は初期段階でやめていました。

自宅で療養期間中、家族の優しさが偉大すぎて、更に申し訳なくなり泣いてばかりの毎日でした。

若いのに、こんなことになってしまって、私の人生はこの先どうなってしまうのだろうと、本気で焦る。

当時、外に出ると どきどきして、眩暈がして、地面がゆらゆらして、

疲れてしまって何もできない&自分が余計に嫌になる私は、

家で出来ることを毎日続けよう

と、決心しました。

それがヨガでした。

意外なんですけれど、大好きだったエアロビクスやスポーツクラブのヨガも出来なくなってしまっていたんです。

スポーツクラブに行くと眩暈がひどくなり、スポーツどころか階段上るだけで息切れがしてしまって。。

自分でも意外なんですけれど、ヨガだけは毎日練習しようと、

この時から必死でアシュタンガヨガを本やDVDで学びました。

ジョン・スコット氏のアシュタンガヨガのDVDで基本を学びました。

ちなみに、ジョン先生、今もお元気そうで、ハンサムで素敵ですね~♡

そうしているうちに、だんだん虚弱な体に体力が付いてきて、意味のない自信が湧き出てきて、

ヨガの資格を取りたい!と思うようになり、ネットであらゆる情報を検索。

(この頃、自分でも気が付かないうちに希望に光が灯り始めていたのかも!

やっぱり、夜は眠れないし、怖いし、寒い、が続いていたのですが、

鬱の自分と元来の前向きで頑張り屋の私が見え隠れするようになっていました。)

もともと、高校で英語が得意だった私は、国際交流にも夢があり、鬱病がちゃんと治ってるかもわからないのに

サンフランシスコの全米ヨガアライアンス認定のヨガ講師養成コースに

病院勤務時代に忙しくて使ってなかった自分の貯金と退職金を使い切ることを決意。

(その時のコースのみんなは、まさか私が病み上がりか病み上がりでないか際どいところにいたなんて、

知らないままだろう と思うくらい、環境が変わった途端、本当の自分を取り戻し、毎日ヨガ修行に勤しんだよー。

かけがえのない友人たちとも出会えました♡)

サンフランシスコ行きの飛行機は、パニック症状に陥らないか不安で仕方ありませんでしたし、また

「怖い、寒い。」が始まりそうだったので、冷汗かきながらの離陸でしたが、離陸してからは、

久しぶりに外出した疲れで、サンフランシスコまで爆睡!

意外と簡単な旅だったことを後に思って、頭の中の不安がいかに信用ならないものかということに気が付く。

サンフランシスコのスタジオはIt's yoga、不良のヨガ講師と異名のラリー先生のもとでヨガ指導がされていました。

技術よりも、グループダイナミクスを重視する先生の指導は、いいところ突いてるなぁと感心したものでした。

エネルギーがいいと、人はやる気がでるし、能力を最大に発揮できるということをこの時にすごく学ぶ。

音楽療法の現場でも、いつも感じていたことだ!

音楽もヨガも変わらない。人がいて、その場に生じるエネルギーの効果なんだ!と思うようになる。

Here and Now ということですね。

サンフランシスコから帰国すると、もう本来の私に戻っていた。

渋谷にある今は存在しないヨガスタジオでY先生という元水泳選手の先生のレッスンを受け続けていました。

アシュタンガの大先生であるケン先生のWSや短期の養成講座も何度か参加させていただいたり、

やっぱり有名な先生は有名なだけあって、全ての器が大きいなーと正直に思いました。

2006年よりヨガ講師 東京都内の複数スタジオ、またはプライベートレッスンでヨガ指導を開始。

この時、日本の音楽療法士の先駆者である羽石絵里先生より、パーキンソン患者さんの個人音楽療法を担当しないかと

対象者さんを紹介され、高齢者領域での音楽療法士としての仕事も個人で再開することができました。

人とのご縁にも感謝。

ヨガのお仕事も、生徒さんがいっぱい口コミで広げてくださり、いつも満員御礼。本当に幸せの絶頂。

2012年 フランス人国籍の男性と結婚

このフランス人男性が、私の今の旦那さんなわけですが、

この旦那さん、実家に住み続けていたために、旦那さんの実家で旦那さんの両親との同居で生活が始まり、

旦那さんの実家は大田舎で、車がないと外出できない&ご両親は昔気質でなんでも反対するタイプで

とても一緒に住めないなぁと思った私は、結婚したことを後悔する日々。

旦那さんのことは好きなんだけど、ご両親とは考え方が違い過ぎて一緒に住めない。

そのとき、私の父が癌を発症してしまい、ダブルピンチに追い込まれ、

日本に一旦単身で帰国。

フランスに戻るか、日本に留まるか、迷いつつ、私は 一か月インド一人旅にいってみました。

インドでは、いろんな経験をし、(お寺に拉致される事件や インドの好青年2人にお家に誘われ、怪しい怪しいと疑ってばかりだった私が二人の純粋な思いに強く打たれ、なんて私の眼は節穴だったのだぁと偏見があった自分に対し反省する経験などー)

帰国後は、ヨガの仕事を再開させていただくことになりました。

でも、やっぱり、夫婦なのに、一緒に暮らしてないし、一緒に何かを成し遂げる挑戦もしないで、と思う私は、

2013年フランスに戻り、旦那さんの実家から遠い南仏にレストランのサービスの仕事を見つけ、そこに住む。

旦那さんは、仕事を辞めて私の住む南仏に引っ越してくるが、とにかく二人して、知らない土地、私の少ないお給料と旦那さんの失業保険で生活をするという不安が付きまとい。

とりあえず、旦那さんにヨガを毎日指導して、二人で毎日ヨガを続けることだけはやってみる

ヨガをする習慣は 私にとって、人生を好転させてくれる秘訣なのです。

それから、結局、旦那さんの実家がある地域に戻ってきて、旦那さんとの家族と分かり合えるように数年かけて、

今の良好関係を築き上げました。

何事も最初から欲しい状態で手に入るのではなく、物事は時間をかけて育てていくものと実感。

フランスでの就職活動や人間関係、フランス語勉強、家族とのかかわり方、友人とのかかわり方、

全て、時間をかけて、人一倍挑戦して、人一倍失敗して、でも、常に学びながら、好きなことを優先しながら、

人生を歩んできました。

毎日笑顔で穏やかでいられるのも、辛い経験があったからこそ、学ぶことが多かったと思っています。

今は、すごくいい状態で毎日を過ごしています。

毎日ヨガをして、ヨガのプライベートレッスンをして、

たまにメカニックの仕事をして、

毎日、旦那さんと笑顔で穏やかに信頼関係を育み、

やりたいこと、心が温まりることを優先に生活をしています。

結局、若い時は、自分は感謝されることをしていないと愛されない存在だとずっと思っていました。

好きなことをやっているだけではなくて、人の役に立ったり、

誰よりも秀でて、人より優れているところがないといけない と思っていました。

そして、誰かの役に立っていないといけない と勘違いしていました。

だから、人一倍勉強もしたし、人一倍努力したし、人一倍優等生でした。

自分で勝手に、何か誇れるものを持っていないといけないと決めていました。

今は、家族が私が鬱だった時に言ってくれたことが良くわかる。

私が嬉しくて幸せだったら、みんな嬉しいんだよっていうことが。

何もしていなくても、私は世界に一人でユニークな存在。

皆さんも世界にお一人様のユニークな存在。

私と一緒に自分自身を大切にして、自分自身を褒めながら、いい人生を歩んでいきませんか?


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