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金沢の近くに住みたくて富山に移住してみたら、意外とよかった件。

2016年、富山県小矢部市の地域おこし協力隊として埼玉から富山に移住した武井靖さん。もともとは、金沢に魅力を感じて北陸へ移住された武井さんですが、富山に住むうちに富山の魅力に触れて……

協力隊の任期が終わってからも、富山に住み続けている武井さんに、その理由や富山の魅力を伺いました。

地域おこし協力隊とは…
地域おこし協力隊は、都市地域から人口減少や高齢化等の進行が著しい地域に移住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取り組みです。
隊員を任命するのは各地方自治体であり、活動内容や条件、待遇は、募集自治体により様々です。任期は概ね1年以上、3年以内です。

https://www.chiikiokoshitai.jp/about/

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◎リモートワークの先駆け

ーー武井さんは移住前から、フリーランスのWEBエンジニアとしてお仕事されていたそうですね。

はい。高校生の頃にパソコンを買ってもらったことがきっかけでプログラミングに興味をもち、WEBプログラミングを学びました。最初は広告代理店に勤めていましたが、6年ほどしてフリーランスになりました。顧客の顔が見え、直接感想をいただけるような「顧客の想い」を反映できる立ち位置で仕事がしたくなったのが理由でした。

当時は「インターネットが始まった時代」でしたね。今ではほとんどの企業がホームページを持っていますが、大手企業がようやくホームページを持ち始めたような頃でした。

ーー富山に移住されるまでの経緯を教えてください。

30歳という節目が見え始めた頃、中国に移住してみました。「思い切ったことができる最後のチャンス」だと思って。ちょうど中国が高度経済成長期で、そんな社会を肌で感じてみたいと思ったのが中国を選んだ理由です。

ーー海外志向のあった武井さんが、日本に戻られた理由はなんだったのでしょうか。

当時、たくさんの中国人観光客が日本に旅行に来ていました。でも、友人たちから、「日本の〇〇に行ってきたよ。知ってる?」と聞かれたスポットのことをことごとく知らなくて…。自分がいかに日本のことを知らないかを痛感し、帰国して日本中を回ることに。

帰国してからの2〜3年は、埼玉の実家に住みながら日本中を旅しました。その中で一番気に入ったのが石川県、特に金沢だったんです。東北から九州まで行きましたが、金沢には1年で6回ほど訪れました。

石川県輪島市・白米千枚田 ©︎武井靖さん

ーーそれほど金沢が気に入った理由はなんだったのでしょうか。

もともと歴史と山登りが好きだったので、金沢には文化が根付いてる上に、北陸周辺には登山を楽しめる山がたくさんあるのが魅力的でした。

ちょうど、全国に光回線が広まり、どこにいても仕事ができる環境が整いつつありました。そこで、当時一緒に仕事をしていた各チームのメンバーに「地方移住しようと思っている」と相談したんです。

当時、メンバーはみんな東京にいましたが、実際会うのはプロジェクトが始まる時と打ち上げくらい(笑)。「今とそんなに変わらないから、いいんじゃない?」と言われて移住を決意しました。

ーー当時はまだ、リモートワークは一般的ではなかったですよね。武井さんって、リモートワークの先駆けだったんですね!

そうなんですよ(笑)。

仲間たちにも応援してもらえたので、富山県小矢部市の地域おこし協力隊に応募しました。

◎金沢ではなく富山を選んだ理由

富山駅北にある環水公園 ©︎武井靖さん

ーー金沢がお気に入りだった武井さんが、なぜ富山に?

残念ながら金沢市で地域おこし協力隊の募集がなかったんです。そこで、金沢へ行きやすく、かつ埼玉の実家にも帰りやすい場所を探しました。当時、僕はペーパードライバーだったので、電車でのアクセスの良さを優先しました。

小矢部市から金沢へは電車1本で30分弱。また、当時は北陸新幹線が開通したばかりで、新幹線の停まる新高岡駅までも30分弱で行くことができます。小矢部市は金沢へも東京へも行きやすい立地だったんです。

ーー移住されるまで、富山のことをどれくらいご存知でしたか。

石川旅行のついでに氷見市にちょっと寄ったことがあったくらいで、ほぼ富山には足を踏み入れたことがありませんでした。

知識としても、県庁所在地の富山市、黒部ダムのある黒部市、氷見市くらいしか知らなくて。

ーーそんなに知らない場所に移住されるなんて勇気がおありですね(笑)。すでにフリーランスとして独立されていた武井さんが、地域おこし協力隊として移住された理由はなんでしたか?フリーランスのお仕事だけで十分だったのでは?

友達が一人もいない場所に移住するので、コミュニティに入りやすい形で移住したくて。地域おこし協力隊であれば、初めての場所でもすんなり地域に入っていけると思ったんです。

それに、フリーランスとしての仕事も並行して続けられる契約にしました。協力隊の仕事は週3、残りの時間はフリーランスの仕事をすることができたのです。僕以外にも、フリーランスの仕事と協力隊の仕事をやっていたメンバーがいましたよ。

◎富山の職人さんたちの素晴らしさを広めたい

立山にも何度も登った武井さん ©︎武井靖さん

ーー実際に富山に移住してみていかがでしたか。

富山県への移住者の多くが言うことかもしれませんが、移住当初はスーパーのお刺身で感動しましたね。それに、伝統的な食文化ーー例えばますの寿司や、飲食店で出されるちょっとした小鉢がとても美味しいんですよね。

田んぼが多いので、夕日が田んぼに映る何気ない風景が大好きです。観光地でいえば、五箇山や立山の室堂などがお気に入り。登山が好きなので、立山には何度も足を運んでいろんなルートを楽しみました。

実家は最寄駅から歩いて30分ですし、コンビニまでも遠くて…。でも小矢部市に引っ越したら、最寄駅の「石動(いするぎ)駅」まで徒歩15分だし、銀行、スーパー、コンビニ、郵便局、なんでも徒歩圏内にあるし。首都圏に住んでいる人でも、地方移住した方が住環境がよくなる人はたくさんいると思います(笑)。

ーー地域おこし協力隊の任期が終わっても、富山に住み続けておられる理由を教えてください。

地方で活動する面白さを知ったからですね。

東京にはプレイヤーが多いけれど、多すぎてそれぞれのプレイヤーがマッチングするのが難しいんです。コミュニティを形成するハードルが高い、とも言えるかもしれません。でも、地方はプレイヤーの絶対数が少ないから、プレイヤー1人と繋がることでどんどん面白い人たちと繋がることができます。そうやって繋がった人たちと「一緒に何かやろうよ!」という機運も高まるし、新しい仕事も生まれます。

そうやって生まれた縁がきっかけで、実は小矢部から南砺(なんと)市井波に引っ越したんです。

井波の八日町通り ©︎とやま観光推進機構

ーー井波とどんな縁が生まれたんですか。

井波は何百年も続く「木彫りのまち」として知られています。人口は約8000人の小さなまちですが、2017年には日本遺産にも指定されました。まちを歩くと、あちこちからノミで木を削る音が聞こえてくるんです。

100年後にも文化を継承するために、木彫りのまちとしてだけでなく「人材輩出のまち井波をつくること」を目的に「ジソウラボ」というプロジェクトが始動しました。起業家を支援したり、世界中にサポーターの輪を広げたり、コミュニティが自然とできるような施設づくりをしたりといった取り組みがなされています。

最初はウェブサイト作りで関わったのですが、ジソウラボの取り組みが面白くて、僕も参画したいと引越しを決めました。

ーー歴史あるまちで、新しい取り組みをするにはきっと難しさもあるでしょうね。

ジソウラボのメンバーには、井波で長い歴史を持つ木材屋さんや石屋さん、木彫師、総合建築業の若手経営者、移住者である建築家の他、県外にもメンバーがいます。確かにこういった先進的な取り組みは、往々にして地域の方から反対されたりするのですが、ジソウラボは地元企業の若い経営者が関わり地域との橋渡しをすることで地域との連携もスムーズに行われているんです。そういう意味でも、井波は面白いまちだな、と感じます。

井波の中心にあるのが彫刻の施された瑞泉寺 ©︎武井靖さん

ーー武井さんご自身はこれから井波でどんな活動をされる予定ですか。

職人さんたちの素晴らしい作品を広く伝えるお手伝いができたらいいな、と思っています。富山には石本泉(せん)さんという五箇山和紙の職人さんや、ジソウラボのメンバーでもある木彫師の前川大地さんなど、素敵な職人さんがたくさんいらっしゃいます。また、富山はガラス工芸でも有名です。

もともと、古道具を集めるのが趣味で職人さんたちと交流がありました。富山には素敵な職人さんがたくさんいるのに、県内にしか知られていなかったりするんですよね。僕がお手伝いすることで、職人さんの知名度を上げたり、作品をもっと多くの人の手に取ってもらうための環境を整えたいんです。

ーー具体的にはどんなふうに取り組みを進めていかれるのですか?

実は今、北陸を再編集するWEBメディア「HOKUROKU」の運営メンバーとしても活動しているんです。「HOKUROKU」は北陸に住む人や北陸外の方にも北陸の魅力を再発見してもらうWEBメディアです。

プロデューサーはグリーンノートレーベル株式会社の明石博之さん、編集長は国内外の主要WEBメディアに寄稿するライターさんです。 私はこのメディアを活用して、北陸に住む職人、クリエイターの手伝いができるのではないかと思い参画しています。

◎家にトレーニングルーム!?9LDK!?

武井さんおすすめの観光スポット・五箇山 ©︎武井靖さん

ーー移住してから、どんなおうちに住まわれてきましたか。

小矢部市の地域おこし協力隊として活動していたときは、石動駅から徒歩15分の賃貸物件に住んでいました。9LDKで月5万円の賃貸物件でした。

ーー9LDK!?

はい。家の中にトレーニングルームも作りましたよ(笑)。
井波に引っ越してからは、5K・2階建ての一軒家に月5万円で住んでいます。

ーー今後富山移住される方に、住まいに関するアドバイスはありますか?

私が移住した小さな町だと、持ち家が基本なので一軒家の賃貸物件があまりない、という点でしょうか。僕自身もこの家に出会うまでに約半年待ちました。意外と賃貸物件の家賃が高いので、場所によっては千葉や埼玉くらいの家賃のところも。

ただ、山手線や東武東上線で14年間も満員電車に揺られていた身からすると、通勤時間が徒歩5分だったり、自宅でゆったりと仕事できたりというのは非常にありがたいんですよ。中学生の時は小柄だったので、満員電車では身体が浮いていました…。

ーー暮らしの中のストレスは大きく軽減されたんですね。最後に、移住を検討している方に一言お願いします。

僕は、地方で生活した方が豊かな生活ができると思っているんです。東京での生活に少しでも疑問を持っているなら、より豊かになる可能性がある地方移住という選択をおすすめします。

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武井さんがこれから富山で進めていくプロジェクトが楽しみですね。

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