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ための自己紹介③営業〜放射線技師になる前まで

私は大学卒業後、沢山の仕事をしてきました。

スティーブ・ジョブズがちょうどその頃大学の演説で「自分の本当の仕事が見つかるまで探し続けなくてはいけない(意訳)」と語っていた頃で

今の仕事が誰のなんのための仕事なのか分からない時に、色々な人の言葉を頼りに色々な場所を彷徨っていました。

仕事①メーカー営業

新卒で、メーカー保守会社の営業として配属されましたが、保守が機能してないことによるロープ破断事故を知らされ、「自分の仕事は社会の誰の役にも立っていない」と絶望したのを覚えています。

それから、社外でも色々な活動をするようになる中で、2年で会社をクビになります。

でも、本人は至って真面目に、世の中を変えたいし、社会に貢献したいと思っていたので、ただただ腹立たしい気持ちでいっぱいでした。

仕事②ベンチャーでのアルバイト

次にしたのは、ベンチャーでのアルバイトでした。

実は仕事①を辞めてすぐ、ベンチャーに入ろうと思っていました。ところが、「そんな社会的信頼のない会社に入ってどうするんだ」という反対を受けて、結局諦めます。

当時、スタートアップとかベンチャーという言葉を耳にし始めた頃で、自分の手で0から新しく何かを作るということに面白さとやりがいを感じていました。

GAFAも飛ぶ鳥を落とすような勢いがあり、日本の大手企業より夢と情熱があるな、と社会に出てみて初めて感じました。

アーティストみたいでかっけぇ、みたいな感じです。

Co-med Cafeの思い出

診療放射線技師という仕事に就く為に専門学校に通っていましたが、やっぱりベンチャーで仕事するということは諦めきれず、いくつかのベンチャーで学生をやりながら働いていました。

その時やっていた活動の一つが、医療に関心のある方があつまるイベントスペース「Co-med Cafe」です。

医師、コメディカル、またはそれを目指して勉強している学生さん、医療系の企業で働いている人、患者さん、全く医療と関係ない人達まで、幅広く来ていました。

中には、私が診療放射線技師であると聞いて、「実は放射線治療を受けていてね・・」という話をしてくださる方もいらっしゃいました。その方は何年か前にお亡くなりになりました。

特に「ペンギン飲み」というイベントでは、max30人くらい来ていたと思います。

ここで、いろいろな方に出会ったことが、うまく仕事を覚えられなかった時に、少しだけ踏ん張ることが出来たきっかけだったかなと思います。

患者さんの為に、医療の為に、私は一体何ができるだろう。

現場仕事が苦手な私は、多分何も出来ないかもしれない。それでも、何かを医療の現場でしなければいけないと思っていました。

現役のお医者さんと一緒に大学病院で80人規模のイベントを主催したこともあります。

本当は、医療の現場で経験を積むか、医療系の会社に勤めるかでも迷っていました。実際に、資格はとっても、病院では就業しなかったり、歌手になるなど、全く違う仕事に就いてしまう人の話も聞いてみて、

「道は一つじゃないな」と思えただけでも、かなり希望でしたし、そんな機会を提供してくれた医療学生ラウンジは、貴重だったなと思います。

他のベンチャーでの経験

他には、元Zensの町田龍馬さんのところで、ライターとして仕事をしていましたし、

AIがこれから来るかもという黎明期のタイミングで、医用画像を扱う大学発ベンチャーでオウンドメディアのライターをさせてもらったりもしました。

当時、私の書いた記事が一部NAVERまとめに取り上げられており、ちゃんと書けば見てもらえるんだな、と思ったのを覚えています。AIとか3D ARなどまだまだ黎明期だった技術を取り上げて紹介すること自体にワクワクしていました。

創業期から色んな方が集まる会社で、個人で有名になったり、独立してベンチャーを立ち上げた人も何人か見てきました。海外からもインターン生が来ていましたし、中学生が職場体験に来たりもしていました。

放射線科医を目指している方もいらしていて、話がはずんだのも覚えています。

ちょうど、ライターをしていた頃、そのベンチャーがまだ数名程度だった頃に参加し、数年経たないうちに人数が急速に増えていくのをみて、「これがベンチャーの醍醐味か」と感じたのを覚えています。

そんな感じで、人と関わること自体がとても楽しかったし、変化量の大きい場所にいること自体が楽しかったのです。

でも、それも自分の本分である医療職に就くまでのモラトリアムに過ぎませんでした。やはり、ちゃんと自分の道をきちんと築いていく必要がある。

そう思っていました。

④に続く

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