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「私」として文字を書きたい。

こんにちは。

ライフコーチのためなおです。


最近私の中で違和感を感じていること、そして気付いたことについて書きます。

ちょっとした自慢なのですが、昨日でNoteは60日連続を達成。たくさん夢中になって書いた日もあれば、文章として書くのを辞めて写真を投稿してみたり。私の中では、連続投稿することに意味があったので、あまり形にとらわれずに更新をし続けました。

だから、毎回しっかりした記事にはなっていないことも。


でも自分の中で更新しながら思っていたことがあって、その意志に対してどう感じるかで書く意欲が変わってきていたことに気づきました。

それは、「コーチとして何を書くか?」という思いでした。


書き始めた初期の頃は、ライフコーチとして発信を大事にしよう!とずっと思っていました。だから、自分で見つけたことを書いたり、何か、誰かの参考になることを書こうと思っていました。

もちろん原点は自分の気付きだったり、普段の生活から起こることで、何も特別なことではないのですが。


でも、書けば書くほど、自分の中に違和感を感じる日というのもあって、納得いくまで、書き直していました。

そんな時、私の中で何が起きていたかを話すと、読まれるからにはしっかり書いていこう。みたいな、外側からの見え方を気にしていたんだと思います。


もちろんそういったことを意識するのは最低限必要なことだとは思うのですが、私の場合、意識すると、ハードルがどんどん高く、厳しくなっていき、自分でも気づかないうちにどんどん基準が上がる。

その基準では上手く行かない部類になってしまって、やる気が落ちる

っていう流れになってきます。




コーチだから、何かしらの気づきを。言葉にできることを。

段々と無意識にそういった思いになってそれが、心のどこかでプレッシャーになったりしていたんだと、今になって気づきました。

でも、コーチは先生じゃない。

何でも知っているわけじゃないし、コーチングの価値は提供できるけれど、それを除けば普通の人。自分の人生を生きる人間です。


コーチという肩書きもあるけれど、「私」でもある。本当は両方書きたいんだと思います。

コーチと言う枠にとどまらない自分も居ていい。

でも自然にそんな「私」もコーチになっている。

ライフコーチってきっとそのくらい密接な存在。


今の私には、あまり深いこと考えずに自分の生活の中で見出したことを記録している方が性にあっているなぁと感じながらも、何を選ぶか?


もう少し自分の中で考えてみようかなと思っています。

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