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あなたの心の支えは何ですか?―摂食障害体験を振り返る―
今日は私の摂食障害体験を振り返ってみようと思う。これは今の私をかたちづくる、ひとつの重要な体験だったように思うから。
とはいえ、私はかなり軽度の摂食障害だったことが最近判明した。
幸運なことに、摂食障害について調べたり、当事者や専門家の話を聴いたりする機会があったのだ。(それは私にとっては当事者研究に近いもので、これを機に自分の体験も言語化しておこうと思った。)
摂食障害の当事者には、何十年にわたって拒食と過食(過食の場合は大体は嘔吐や下剤の大量使用による排泄を伴う)を繰り返す人が多い。
ただ、私の場合は過食になることもなく、1年ちょっとの期間で終わった。
高校生だった当時、陸上部で運動をしていた私の身長体重は155センチ45キロぐらい。痩せるまえから体重自体は平均体重よりも低いくらいだった。
ただし、自分の外見も、性格も、不器用さも、頑張れないところも……とにかく自分のすべてが大嫌いだった。だから、痩せればせめて見た目ぐらいは少しはましになるかもと淡い期待を抱いていた。
自分を変えることは簡単ではないし、どう頑張っても変えられないこともある。でも、痩せることは比較的容易に実現できた。(今となっては全然食べるの我慢できないけど……)
あとで調べて分かったけれど、こうした考え方は摂食障害を患う人に典型的らしい。
加えて、(少なくとも私のまわりの)女子高生は「常に」と言っても過言ではないほど、「痩せたい」「太った」「ダイエットしなきゃ」という言葉を発していた。 だから、「私も痩せなきゃ」という意識が無意識のうちに醸成されていたように思う。
自宅には体重計がなかったけれど、食べる量を減らしていると親に心配され、部活の先生や先輩などにも心配された。それでも一応3食食べていたし、周りの友人と比べても自分はやせ過ぎだとは思わなかった。自分に対する認知が歪んでいる状態も摂食障害によくある症状らしい。
その当時は、情緒不安定で、無気力や怒り、自己嫌悪などの感情がふいに襲ってきて何も手に付かない、怒る、泣くといったことがしょっちゅうだった。
無性にイライラして、自分の感情をコントロールできない。だから「自分はなんて短気で、嫌なやつなんだ」とさらに自分のことを疎ましく思う。そんなふうに思考はネガティブな方向に進んでいき、泥沼にはまっていくような感じだった。
結局、医療系のテレビ番組で摂食障害の果てに骨が浮き出るほどになってしまった人の姿をみて怖くなり、骨粗鬆症になる恐怖が、太る恐怖を上回った。
それからは過食に移行することもなく、以前と変わらないぐらいの量を少しずつ食べはじめた。私は一時的に、ある程度の量を食べてもすぐに太らない身体になっていたことも幸運だったと思う。
情緒不安定なのはすぐには変わらなかったのだけれど、それでも拒食から脱することができたのは、脳が正常な判断をできる状態だったからだ、と今なら分かる。
重度の摂食障害に苦しむ人は、身体への深刻なリスクを認知してもなお、太ることへの恐怖、つまり拒食症から脱する恐怖のほうがすべてに勝るという。
当時から自覚はしていたけれど、私は何だかんだで恵まれていた。ありがたいことに、お友達グループに入ってワイワイおしゃべりしたりすることを好まなかった私でも、クラスメイトはいつでも優しく受け入れてくれていた。
担任の先生も、部活の顧問の先生も、私が情緒不安定なことを知りながら、適度な距離感で気にかけてくれた。柔軟で素敵な先生たちだった。
家族も滅茶苦茶な私に付き合ってくれた。
ほんとうに感謝しかない。
今も感謝している。
その頃も学校では笑顔で振る舞うことができたけれど、家では家族に迷惑をかけていた。
自分が嫌いすぎて、自分を生んだ責任を親に問うていた。
頑張って育ててきた子どもがこんな人間だと思うと、母親が可哀想で仕方なかった。弟の人格形成においてもかなりの悪影響を与えたと思うし、父親とは喧嘩してたか口をきかなかったかだったように思う。
自分でも見捨てられてもいいような人間だと思っていた。だけど、親は見捨てないでいてくれたので、当時の私も「少なくとも親だけは自分のことを愛してくれている」と思えていただろう。
* * *
2年くらい前、尊敬している人とご飯にいったとき、「一番つらいときに心の支えになったのはなに?」と聞かれて、うーん……と悩んだ末に思い浮かんだのが母親の存在だった。
その人は「数学」と言っていたから、私もなにか熱中したものがないか探したけど、自分でも意外なことに、母親としか答えられなかった。
私は今まで生きてこられたのは親に愛されていたからなんだろうな、とその時に思った。
* * *
しんどい過去を乗り越えてきた人たちの話を見聞きすることがあるけど、人間が健やかに生きていくためには、やっぱり自分の存在そのものを無条件に愛してくれて、心を許せる人の存在がものすごく重要だと思う。
ありふれた話だけど、人生を左右するのは“出逢う人たち”だと思っている。
なかでも、幼少期をともに過ごす家族の存在は大きい。良くも悪くも家族は人の生き方に大きな影響を与える。
だけど、家族からの愛は、みんなに平等に与えられるものではない。
だから、家族だけに人生が左右され、家族に愛がなければ不幸になるなんて、極めて不平等だ。私は、「家族に愛されなくてもこの世界には愛してくれる人がいる」とみんなが思える社会をつくっていきたい。
親の愛があってどうにか生きてこれたという実感があるからこそ、親に愛されずとも、心の支えを見つけられる社会をつくっていきたい。
そして、綺麗事のようで恥ずかしいけれど、自分も誰かにとっての心の支えになれたらと思う。
花を買って生活に彩りを…