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徒然なるままに

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2019年8月の記事一覧

【子育てにかかわる人たちへ】人間理解のために読むべき一冊

1ページ、1ページにとても重要な情報が詰まっていた。 『虐待が脳を変える―脳科学者からのメッセージ』。小児発達学や小児精神神経学などを専門とする脳科学者の友田明美さんの研究を、一般読者向けに分かりやすくまとめた一冊だ。 端的に言えば、虐待は脳を変えてしまうほどの恐ろしい行為だという話なのだけど、重要なのはここでいう「虐待」は、その言葉から多くの人が連想するような身体的暴力に限らないということだ。 「虐待」というと強烈なイメージを与えがちだが、実際には親や子どもが自覚し

愛する⇄愛される

愛を与える者が愛される。 だから、愛されることを望む前に、人を愛するべし。それはその通りだと思う。 だけど、存分に愛された経験がなかったり、自己肯定感が低かったり、そういう場合には、人をうまく愛せないこともある。 そういう人には、やっぱりまず愛してくれている、心から応援してくれていると信じられるような存在が必要だと思う。 友人でも、恋人でも、親でも、先生でも、先輩でも、上司でも誰でもいいから、そういう人がいると、人は頑張れるんだと思う。

好き嫌いの次元を超えた関係

できるかどうか分からないのに、「やりたい」と言うわたしの手を引っ張り、背中を押してくれる同期のみんなへ。 はじめてのスキー、富士山、マラソン、いつもわたしのわがままを温かい目で見守ってくれて、ありがとう。 たいていは、荷物を持ってもらったり、ペースを合わせてもらったり、いつも何かしらの迷惑をかけている。でも、いつも優しく受け入れてくれる。 そのおかげで、限界を超える新しい挑戦ができていることに感謝しています。新境地に至るためには、やっぱり一緒にがんばろうと言ってくれる

わがままについて

先日友人にLINEをしたあと、ふと自分に対して「わがままだなぁ」と思った。 何か駄々をこねるようなお願いをしたわけではないが、頼まれてもないのに一方的に「感想を言うね」と連絡したことを、自分勝手だなと思ったのだ。 同時に、わがままであれる関係性の人は、数少ないながら貴重だなとも思った。 ちょうどその日の帰り道に、「恋人に対する期待や要望」について考え事をしていた。耳に入ってくる恋バナのような会話を反芻しながら、「なぜ恋人に対してそんなに高い期待を寄せているのか」と考

ひと時の恋

さーっと心地よい風が心を通り抜けていくような、ひと時の恋だった。 彼は、あまり見たことがないぐらいに周囲に気配りができる人だった。 誰にでもフラットに接することができる人だった。 人の痛みに敏感なんだろうなと思わされる人だった。 ニコッと爽やかな笑顔をみせる、とっておきのハッピーボーイだった。 ほんとは、恋愛という感じのものじゃないかもしれないけど、それでも「恋に落ちた」と言わせるほどの人間だった。

何のための教育か

個人のための教育か社会のための教育かという議論がある。 (ここでは学校教育を前提とする) 人間、個人と社会の関係性は切り離せないものなので、私は社会のための教育が個人の幸福に繋がっていくものだと思っていたし、今もそう思っている。 だけれども、その考え方のままじゃ、教育コンテンツを大きく変えることは難しいかもしれない、と思う気持ちも湧いてきた。 DVや虐待の勉強をする中で、こうした最も人間の幸福を左右しそうなことを、なぜ学校教育の中で学ばないのか、という疑問を抱いたのが

ランニングマシーンと意思のチカラ

はじめてランニングマシーンなるものを使用したわたしは、感動した。 なぜなのか。 まず、体力がない人間にとって、走ることはとても辛いことだ。疲れる。 それゆえ、走りたいと思っても走っているうちに、歩きたくなる。疲れないように、スピードを緩めたくなる。 走るという行為自体に、かなりエネルギーを要するのだ。 それが、ランニングマシーンは(設定をするだけで)、自然と走るチカラをくれるのだ。足を動かしているだけで、同じペースで走ることができる。 言うなれば、補助輪付きの自転

自分の気持ちがよく分からない

「なにか食べたいものある?」と聞かれて困ってしまうときのように、自分がなにを望んでいるのか分からないことがある。 自分の気持ちが分からないのだ。 怒っているのか、不安なのか、困っているのか、それとも安心しているのか。やりたいのか、やりたくないのか。好きなのか、嫌いなのか。期待しているのか、諦めているのか。 よく分からない。これは、なにが問題なのか分からない漠然とした不安に近いものがある。 そんなとき、身体技法研究者の甲野陽紀さんの著書『身体は「わたし」を映す間鏡である

子どもたちに、「大人になったらいじめなんてなくなるからね」と言いたい

幡野広志さんの著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』を読んだ。 34歳で多発性骨髄腫というガンになり、余命3年と診断を受けた写真家の幡野さん(35歳)が、2歳の息子に向けて自らの経験や学びを伝える本だ。 いちばんはじめの節の、「優しい子に育てるには、優しい親でいなくちゃいけない。」ということばが、最も腑に落ちた。これは私がずっと感じてきたことに近いことだったから。 他人に対して、理不尽に、あるいは自分の怒りをただぶつけるような怒りかたをする人が、だれかの「親」だ