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情報に高いアンテナをはり、大量に処理して読み解きまる、そういう能力がすべての仕事において本来的には求められると思う。そうした力がなくてもそこそこに成果出して貢献できる職場があれば教えてほしいです。。 あるにはある、でもやっぱりやりがいとか楽しさを求めるなら上記のことをがんばることが求められる。選ぶのは自分次第。そういうむずかしい世界に生きている。 そんな葛藤しなくてすむ世界があれば教えてください。 でも、きっと楽な道なんてない。何かしら大変な側面があるんだろうなあ。
あるマンガに、印象的な台詞があった。 ざっくり要約しちゃうと、 世界には素敵な子がたくさんいて、この先いろんな出会いがある。でも、僕は新しい人に出会うたびに君を選ぶし、君に選ばれ続けるようにがんばる。 といった趣旨のことばだった。 ああ、そうだよなあと思った。 これは、付き合い続けるってそういうことでしょ、という話だったけど、結婚してからも大して変わらないのでは、と思う。結婚は契約だから、一緒に生きていくという決意と、そのための努力が求められるとは思うんだけど。
1ページ、1ページにとても重要な情報が詰まっていた。 『虐待が脳を変える―脳科学者からのメッセージ』。小児発達学や小児精神神経学などを専門とする脳科学者の友田明美さんの研究を、一般読者向けに分かりやすくまとめた一冊だ。 端的に言えば、虐待は脳を変えてしまうほどの恐ろしい行為だという話なのだけど、重要なのはここでいう「虐待」は、その言葉から多くの人が連想するような身体的暴力に限らないということだ。 「虐待」というと強烈なイメージを与えがちだが、実際には親や子どもが自覚し
電車の斜めまえの席に座っていた若い男性3人組は、共通の友人について話をしていた。その友人は(軽はずみで)セックスした女性に妊娠させてしまったようだった。その後、二人は結婚することにしたけど、相手の女性は結果的に流産したという。詳しい内容は忘れてしまったけど、その話をきいた3人組のひとりは、「これ、めっちゃサイテーな考えだけど」と前置きしてこんなことを言った。 「もしノリでやって、間違えて妊娠させちゃったとしても、流産したらある意味ラッキーだよね」 みたいなことを。 わた
わたしの人生でもっとも大切なことは、わたしが幸せであることです。考えてみたら、わたしは有名になりたいわけでもないし、みんなに認められる業績を出したいわけでもないし、多くの人の前で話ができる人になりたいわけでもないんです。そういうことが目的ではない。じゃあ、どうあったら幸せなのかというと、わたしが大好きな人たちがわたしのことを好きでいてくれて、そばにいてくれたら幸せです。もちろん、その人たちにも幸せでいてほしいです。素敵な人たちと一緒にたのしい時間や嬉しいこと、ときには悲しみや
21時からベッドにいるのに眠れなくてつらい。早く寝て明日早く起きようと思ったのに。仕事が終わってなくて不安が募る。 それから、過去の出来事だけど、今更になって悲しい気持ちが出てきた。 何事も、人が前に進むためには納得感が必要だと思った。ネガティヴなことでも、納得感は大事だ。何がなんだか分からないほうが、つらい。
雪見だいふくは丸いけれどもちょっと硬い感じがする。 柔らかい求肥がかたいバニラアイスを包み込んでいる、剛柔一体な存在。 外柔内剛を体現しています。 しかも美味しくて何度も食べたくなる。 そんな雪見だいふくを見習っていきたいものです。
ゆでたまごは、白くて丸くてつやつや。 光をもった白。 完全な丸ではない、ふにゃりとした輪郭をもっている。 ふにゃりとしているけれど、自律している。 こうした白くて丸いものの美しさを共有したい。 もっと表現する言葉がほしい。 そうした極めて個人的で日常的な「課題」から、このnoteは白くて丸いもののギャラリーにしようと思ったのですが、実際には徒然なるままの書き物になりそう。
なんだかんだ、人間の喜びはここにあるように思う。 誰かの役に立つことは嬉しいことだ。自分を褒めてあげることもできる。 喜んでくれる相手が、自分が応援したい人、好きな人であれば、その喜びは倍増する。 ではどんな人たちが好きなのか(わたしは自分の好きな人たちについて書くのが好きなのかもしれない)。 私が尊敬する人たちは、他者を尊重することを大切にしていて、マウンティングをしたり、他人を卑下したりしない。 他者の心の動きやしんどさに敏感でありながら、寛容なのだ。人に真摯に
これは私の尊敬する人が言っていたこと。 付き合いがすでにある人と話をするときに、1週間ごとにその人に対するイメージをリセットしてみるようにするということ。 たしかに、昔のことを引っ張ってきて、この人じつはこんな悪いところあったんだよ的なことを言う人はいるけど、人は変化する生き物だ。 もちろん過去の積み重ねでいまの自分があることは確かだけど、わたしは、できるだけいまの自分をみてほしい。わたしも、相手のいまをみるようにしていきたい。
ただただ、猛省した。 とっても素敵なひとが周りにいるのだけど、彼らが居場所がないように感じていたり、だれにも相談できなくて苦しんでいたりすることに対して、気づかなかった。というより、気づこうとしていなかった。すぐそばにいるのに、組織に貢献してくれようとしているのに、一歩踏み込んでかかわろうとしていなかった。 わたしは、ありたい姿であれということばを大事にしたいと思っている。 でも全然できていなかった。 普段、福祉にたずさわる方々と出会うことが多く、わたしはその人たちの
漫画や絵本の表現力って、文章とはまた違うものがあっておもしろいなと感じる今日この頃です。 そんななか、とっても秀逸な表現をみつけました。 当事者性を喚起して、想像力を与えてくれる作品。 この漫画は不倫とか買春している人にこそ、みてほしいと思いました。 まさか自分の子どもを妊娠、出産しているなんて。買春している男性はきっと想像もしていないでしょう。 地震とか事故とか、どんな問題もそうだけど、「自分は大丈夫」と思ってしまいがち。 だけど、避妊具なしでセックスをすれば
わたしの周りには優しい人がいる。 しかし彼らは優しくすることでどんなメリットがあるのだろうか。 好かれることだけがメリットでいいのだろうか。そもそもメリットとか対価を求めないからこその優しさなのだけど。 だけども、わたしはそうした人たちがちゃんと報われるような社会にしたい。少なくともわたしの周りにはそういう社会をつくっていきたい。 というわけで、みんなに優しくなれないことを目下の課題としているわたしだけれども、まず身近な優しい人の幸せに自分が貢献していくことはできそう
今日はラッキーガールとハッピーガールのわたし的定義について。どうでもいいはなし。 ラッキーガールは、運が良いひと。そう信じているひと。 ハッピーガールは、さらに他人を幸せにするパワーを持っているひと。 わたしは自分のことをラッキーガールだと信じているけど、まだまだハッピーガールには及ばない。ハッピーおばあさんにはなれるように精進したい。 そもそもラッキーガールとはいえ、すぐに幸せになれるわけではない。もう少し時間がかかりそうなかんじである……。