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何のための教育か

個人のための教育か社会のための教育かという議論がある。

(ここでは学校教育を前提とする)

人間、個人と社会の関係性は切り離せないものなので、私は社会のための教育が個人の幸福に繋がっていくものだと思っていたし、今もそう思っている。

だけれども、その考え方のままじゃ、教育コンテンツを大きく変えることは難しいかもしれない、と思う気持ちも湧いてきた。

DVや虐待の勉強をする中で、こうした最も人間の幸福を左右しそうなことを、なぜ学校教育の中で学ばないのか、という疑問を抱いたのがきっかけだ。

もちろん、DVや虐待は近年になって社会問題として捉えられるようになってきたことがあるだろう。昔は親が子どもを殴ることを咎められることはなかったとよく言われる。対人関係構築は、集団行動の中で身につけられるものだと思われているところもあるだろう。

だけど、ただ集団行動させているだけでは、うまくいかないことは明らかだ。個々人が豊かな人生を築き、社会性を身につけていくことを本気で考えるならば、家族問題や対人関係について学ぶことは何よりも優先順位が高いはずだ。

ではなぜそうならないのかというと、やっぱり教育が個々人の幸福ではなく、社会の繁栄や統制を重視しているからなのかなと思う。

依存症や犯罪など、あらゆる社会問題にかかわるものとして、本来的には、個々人の家庭環境や家族関係は、社会のことを考えても最重要マターなはずだ。

だけど、どうしても家庭内のことは“プライベートなこと”とされる。であれば、個人の幸福の実現→社会全体の幸福につながるという方針転換が必要なのかもしれない。

そんなことを、ぼんやり考えている今日この頃。


花を買って生活に彩りを…