クラス替えで人生詰んだ 2.運命の日

で、中学2年の始業式の日になります。
①いじめられていた
②生徒会役員になっていた
③荒れた中学を何とかしたいと思いっていた
こういった思いを抱えての、不安と期待の進学でありました。

中学2年始業式、まさに「運命の日」となります。
自分を激しくいじめた人物(仮にAとする)が同じクラスになってしまった。ああ…。
そして、同時に自分が嫌いな人物(仮にBとする)も、同じクラスになった。あああ…。
また、一緒にはなりたくなかった人物や、後に暴力事件を起こして、学校で2回目の新聞沙汰になる暴力生徒(仮にCとする)とも同じになった。ああああ…。
1年の時、クッソ評判の悪い男性英語教師が再び授業を受け持った。これもショックだった。あああああ…。

以来、精神的に不安定となり、それが卒業まで続くことになりました。
まるで張りつめていた糸がぷつりと切れてしまったような感じで。
これまでの努力(と思っていた事柄)が水の泡になってしまった…。

今思うに、それがきっかけで小児うつになっていたのではないかと思います。
これは大人になってうつ病にかかってから、中学の時も同じだったなぁと思っているので、間違いなく中学の時もうつでしたと断言できます。
当時は子供はうつにならない、精神病にならないという考えがあったらしく、不登校になって精神科に行っても薬などは出してくれるのですが、病名云々はなかったです。


ちなみに僕は小学校からチック症があってひどく悩んでました。
親は自宅近くの薬局で薬を調合したりして飲ませていましたが、その後中学に入り、名古屋の某小児精神科クリニック(今は息子さんが継いでます)を知って、たびたび行きました。当時は小児精神科は珍しく、名古屋でそこ以外あったかどうか。
だから不登校になって精神科へ行くのは自然な流れだったのです。


当時の担任(男性)に、なぜこのようなクラス配置になったかと詰め寄ったのですが、話を聞くと僕は指導的な人物と教職員に誤解されていたらしいとのこと(多分生徒会役員になったから)。
小学校からの情報(いじめについて)が中学へは全く上がっていないことに驚き、呆れて何とも言えない感情が沸き上がりました。
で、以来その時の小6の担任(男性、団塊世代)を今も恨んでいます。

(その後、何十年後うつ病になってカウンセラーを受けるようになり、その方が学校カウンセラーの経験があったようで聞いてみたのですが、小学校から中学校への引継ぎに、基本いじめの情報はないそうです。報道等によると、現在は小中連携でいじめの情報も共有するようになっているところもあるようですが。)

担任の先生は私に対し、非常に心配してくれていました。
今思えば、担任の先生が私をこのクラスへ「引っ張った」張本人で、罪の意識もあったのかもしれません?
一方で怒鳴り声が怖く畏怖していた部分もありましたが。
当時学年の生活指導担当でもあったのですが、この1年、私の不登校やクラス内の暴力事件などがあり、大変だったであろうと思います(3年時、他の小学校へ移籍)。

このころから、自分は騒がしい教室での教師の怒鳴り声がものすごく気になってしまいました。本当に嫌だったです。
当時の中学は生徒数が非常に多く、かつひどく荒れていて、教師にも余裕がなかったように思います。だから怒鳴ったり、暴力に訴えたりしていました。
まあ、生徒の方も最終的に暴力で訴えていましたけど…。

これまで縁のなかった保健室へ頻繁に出入りすることになったのも、そのころです。
当時の保険の先生は、過去に同様の経験があったらしく温かく見守ってくれました。

肝心のAは同じクラスになっても接触した記憶はほぼなかったです。2年次の最初に小学校での出来事を担任に伝えたので、問題にならないよう避けていたのだと思います。

腹が立ったのはBと一緒になったこと。
Bは僕と一緒でいじめられていましたが、僕とは全く合わず、常に嫌がらせを受けていました。出席名簿で僕の次がBなので、並ぶと必ず後ろに奴がいるのです。
まったく合わなくても、そういう理由から一緒になることが多くストレスになっていました。
それが小5・6年と2年も続き、中学でようやく離れたと思ったらこれだ。
そいつは幼女にちょっかいを出しそうな特徴的な顔した奴ですが、まさか本当に犯罪を犯してはいないでしょうけど。
中学卒業後現在まで、何度か見かけました。もちろん話などすることはないのですが。
今何をやっているのでしょうね。

家庭訪問の時だったと思います。
僕が担任に「このクラスじゃあ学校へ行けない」とひたすら言い続け、もう生徒会役員のプライドも何も捨てて、他のクラスへ編入を求めていました。
担任は「1年間辛抱してほしい、次の年には君の好きな人だけでクラス替えを行うから」と言いました。
これ、家庭訪問の時なので親も聞いていました。母は今も覚えているといいます。
けど中2の1年は凄く長いです。担任はもう30代だったと思いますが、30代の1年と10代の1年の長さはかなり違います。これを「ジャネーの法則」と呼びますが、とても1年間辛抱できるとは思えません。

実際辛抱できずに長期欠席になるのですが。

大人の事情もあってクラス編入が出来ないのはそうかもしれないですが、もし編入できたら…と、まあ、そんな人生上手くいかないですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?