クラス替えで人生詰んだ 7.不登校になって

2学期の11月、文化祭の終了以降、僕がクラスに行くことはありませんでした。保健室には行くことができたので、いわゆる保健室通学で気が向いた時に行っていたと思います。
前に書いたように修了式の日、1時間程度ほどクラスに居ましたが、自分の居場所とは思えない物凄い居心地の悪さを感じました。

担任は「みんな心配している」と教室に来るよう説得していましたが、僕は「(不登校になって)クラスのみんな喜んでいる」と反論してました。
担任の先生は何とも言えない表情をしていたと記憶しています。

こんな感じでクラスにも入らず当然授業にも出ない不登校が、3年時の5月くらいまで続きます。

高校受験という懸念はありましたが、この間は趣味に没頭していました。
地元の歴史や史跡、どんな建物があるかを調べたりしていた。これは今も趣味としています。
あとTVゲーム。これは後述します。
勉強は一応していたのですが、どうも頭に入らずとても困りました。今思えば小児うつ病で、1人で勉強できる精神状態ではなかったのではないかと思っています。

あと、精神的に少々おかしい所があったと思います。

例として、そのころTVゲームが流行っていて、自分もそれに夢中になっていました(とろいのでアクションやシューティングは苦手)。将来はゲームデザイナーでも目指そうかと思ったくらいです。
問題はそのことではなく、当時はブラウン管の画面でTVは「目に悪い」と言われていました。そのため、おもちゃ屋にはTVゲームの横にTV画面に付ける保護フィルターというのが売られていたのです。
当時から目が悪かった僕は、これ以上悪くしたくない理由で、かなりこだわってそのフィルターを買ってもらいました。
それが本当に目に良かったかどうかは定かではありませんが。

結局TVゲームは、高校2年頃に何か憑き物が降りたように興味を失い、今に至ります。だから今もゲーム類は一切やってません。


年を越して1月くらいか、中耳炎のために1週間くらい?毎日耳鼻科へ通いましたが、都合により通院は午前中でした。
ふつう学校へ通う年齢なので、たぶん耳鼻科の先生は疑問に思ったかもしれませんが、僕には何も言わず治療だけうけていました。
自分の知らない所で親や学校から聞いていたかもしれません。


当時は今のように不登校児童・生徒に対する対策は無いに等しかったのですが、まったく無かったわけではないです。

担当の児童相談所が、隔週くらいだったか市内某所の「青年の家」で開いていた不登校のカウンセリングに、母と一緒に参加していました。
小学校の時同じクラスだった女子と一緒で(生徒の参加は2人、あと母含む不登校の親数人)。カウンセラーは児相職員。食事を作ったり、施設内の和室に入ったりして過ごしていました。
勉強はしません。


こんな感じで私の中学生活は後半に入りましたが、当時の社会では学校は行くのが当然、行かないのは病気と思われていました。その時代の学校ものでも、漫画やTVドラマの不良やいじめられっ子も当たり前のように登校していました。
確かにそうかもしれない(個人的にそうは思わないですが)。

現在、不登校生徒は中学でクラスに1人の割合だそうです。だとすれば、僕の通っていた中学なら1学年8クラスだったので、本来なら8人近くいることになります。
それなのに不登校は学年で2人。
いかにそのころの中学生が皆学校へ行っていたことを物語っているようです。
それが普通でありましたが、本当に普通だったのでしょうか?
嫌とは言えず、苦しんだ生徒も少なくなかっただろうに(実際、3年の同級生に1人いましたが行ってました)。

僕の通っていた学校は、校舎の容量を超えた生徒数を持つマンモス校。
校内は非常に荒れていて生徒も教師も暴力的。事件がマスコミにも載り、周りからの評判もクソ最悪でした。

今思うと本当に不思議でならない。

中学生にとって学校へ行くことが「社会への接点」です。しかし、不登校の場合それがありません。
僕の場合、病院・カウンセラーなどへの相談が「社会への接点」になっていたと思います。

しかし「学校へ行かない」というのは非常に後ろめたく、他者に対し自閉的になりました。
近所付き合いや親戚付き合いが徐々になくなっていきました。そういうわけで正直な話、今も近所もしくは親戚付き合いは苦手です。

現代だと不登校児童・生徒の数が多いので、公立の適応指導教室や民間のフリースクールだったりと様々な「場」があります(正直うらやましいというか妬ましいというか、そんな気持ちです)。


ここで当時自分が考えていたこと

不登校のメリット~①いじめや嫌な人と会わない。②荒れた教室で先生の怒鳴り声を聞かなくて済む。③静かに時を過ごせる。④自由な時間がある。

不登校のデメリット~①友達がいない。②他人から後ろ指を指される。③学力が遅れ、進学できない。

→結論「転校する」。

結局できませんでした。

自宅が市域の端にあり、近くの学校がそこしかなく、転校するには市外の学校へ行かなくてはならず面倒な手続きがある可能性。
今は緩和されているのでしょうか…?

両親は、不登校になって自分達の考えを子供に押し付けるのを、一旦改めた気がします。


さて、世間では教育界を揺るがす大事件が起きました。
僕も関係が有るといえばあるし、無いといえばない、そういう事件です。

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