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自分を作る、組み上げる

どうしても、これだけは完成させたい。小さな歯車をたくさん並べた部屋の中で、一抱えもある時計を組み立てている。

小さな歯車は、どれをとって、どこの部分に使ってもそれほど完成に差はないという。それならば適当に組み立てたのでよいように思うのだけれど、なかなか、そうはならない。

みんなが入れているパーツなのに、私のには入れられなかったり。思いがけない空白に、2つも3つもパーツがはまってしまったり。思ってもいないことがおきて、それが楽しい。

ずっと、下を向いたままで時計をくみ上げていくのは飽きてくる。たまに、顔を上げて、周りにいる人の持っている時計たちを見て回る。

あっちの人の時計には、見たことのないパーツがはまっていた。こちらの人の時計には、私が入れておきたかった仕組みが取り入れられている。うらやましく思ったり、真似してみたいと思ったり。

最近は、他の時計を作っている人と話をすることを覚えた。話すことが増えたら、自分が選ぶことのできる歯車が増えた。創り出せる仕組みの種類も増えた。もう少し、自分も何かの工夫をしてみようかと思うようになった。

私が話しかけ始めたら、私に話しかけてくる人もできた。同じあたりに座って、同じように時計を作る。それぞれに自分の時計を作っているだけなのだけれど、たまに顔を見合わせて笑えるのは心強い。

この調子で時計を完成させるまで、はりきってみよう。細々してるから、途中で投げ出したくなる時もあるけれど。それでも、完成させる時が今から楽しみだ。

生きている限り、時計作りは続く。パーツをあつめて、調整して、ときにはパーツ自作して。せっせと、完成を目指す。完成図は、人それぞれの頭の中に。

だから、自分の時計を組み上げるのはやめられない。その時計は「私の一生」。生まれてから亡くなるまでの全ての時間を中に詰め込んだ時計。

完成された時計たちは、部屋の外。長い廊下の両側にずらりと並ぶ。あのなかに、いつか私の時計も並ぶ。

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