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しあわせの形を見にゆく

まっくろで、ぐねぐねとうねっている道を奥へと進んでいく。目に見える動きは波のようにやわらか。それなのに足元は堅くカツカツと、ひとり歩く靴の音が響く。

この奥に進んだならば、何がみえるのだろう。

道の奥には、しあわせの見える池がある(と言われている)。いいや、大きな箱が置いてあるという人もあった。

何にせよ、道の奥にまで行けば「しあわせ」がどういった形のものであるのかが見えるらしい。

「しあわせ」は、ずいぶんと曖昧なものだ。おなじ形をしていても、見る人によってその意味は変わる。おなじ形のしあわせを好んでいたとしても、その濃さは、人によって受け止め方が違う。

それほどに曖昧なものをさがして、昼間、人は暮らしているのか。あいまいだから、見たいと思って。このうねっている道を奥へと進みたくなる。

カツカツ、カツカツ。足音は響く。

途中、カツンと何かがはまるような音がして、機械の駆動音のような震えが伝わってきた。スイッチになるようなものを踏んだのかしら。それとも、何かの境界を踏み越えた?

コトコト、足音が静かになる。いつの間にか、足元は板張りのようなエリアに入ってきている。どれくらいで、道の奥につくのだろう。わたしの「しあわせ」の形は何で見えるのだろう。池だろうか、箱だろうか。それとも、誰も見たことのない形で置かれているのだろうか。

形が違っていても「しあわせ」の形だと、わたしは見てわかるのだろうか。道は途中でいくつか分かれているようで、こちらだと確信をもって道をたどってきたつもりだけれども、私は正しく道の奥につくことができるのだろうか。

悩んだとしても、進むしかない。コトコトと、足元を響かせながら道をたどる。気づくとまわりが、ぽおっと青白く光っていた。蛍のひかりみたいな、水晶の反射のような、ふしぎなひかり。あったかくもなく、つめたくもない。胸の奥で、なにかがきゅっとちぢんだ。気づいたら、顔が暑くなった。

……で目が覚めた。寒くなってきた朝なのに、鼻血が出て顔があつく感じられたらしい。

目が覚めても、夢の中のわたしが気になる。

わたしは道の奥を無事に知ることができたのだろうか。「しあわせ」の形を見ただろうか。どんな形だったのだろう。

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