改めて動かすときは、多めの力がいる
暑い季節。省エネを!と意識を向けて。外出のたびにエアコンを止めようとしたけれど。一度、停めたエアコンをもう一度動かしてみるよりは、動かしっぱなしの方が省エネに効いている、と気がついて、エアコンはつけっぱなしになっている。
エアコンはつけっぱなしで、もう1か月になろうとしている。そして、エアコンの動きと、逆行するみたいに、わたしのnote書きたい欲は下がりっぱなし。
エアコンを止めたら、わたしの書く気力が戻ってくるんじゃないか。
そんな、非科学的な(?)ことを考えることも、しばしば。
ようやく暑さが落ち着いてきて、身体も落ち着いてきたら、ようやくnote書きたい欲が戻ってきた……それなのに、書けない。
久しぶり過ぎて、noteをひらくとどきどきする。読むほうも、どきどきしてしまって、noteを開きたいのに開けない、謎現象を発する。
もう、書くことは習慣になっていると思っていたけれど、とんでもない。書かずにいれば、「noteを書かない日常」に、あっというまに戻ってしまう。書かずにいれば、noteを読むこともためらうようになってしまう。
(せっかく、noteの中の方々とやりとりするのが楽しくなってきていたのに、ね)
「そういえば、最近、note書いている?」
「んー。書きたいことは溜まってるんだけど、なかなか、ね」
しばらく遠出をしていた友人が、街に戻ってきたので。お茶を飲みながら、noteのはなしをした。
その友人もnoteを書いている人。旅の記録を書いている。
冒険心ゆたかな友人だから、遠出をするたびにあれこれと、おもしろいことが起きている。でも、彼女も、最近、noteからご無沙汰。
「noteを休み過ぎて、どうやって再開すればいいかわからない」
「そうそう。なんだか、後回しにしちゃって、どうなのかわからなくなるよね」
「「じゃあ、今日から。書きはじめようか!」」
……といった、お茶を飲みながらの勢いで、今日からまたnoteを再開すると約束する。
ね?
内容は、よくわからないけれど。今日から、また再開できたよ。
勢いとその場のノリで。
noteの再開を約束してくれてありがとう。
ということで、今夜から、またnote再開。
何かを突き詰めたいとか、は。まだ明確な像を確信できていないけれど、「書く」は続けられる。「書く」を続けていれば「読む」も、心置きなく続けられる。
わたしにとって、書くのは動き続けておきたいエアコンみたいなもの。
止めない限り、ずっと。場を動かし続けられる。読むもできる、かくもできる。人とも会える。たのしさ増える。そんな感じ。
久々のnoteすぎて、どうしたらいいかわからなすぎた。もう一度、はじめるにはかなりの力が必要で、ひとりじゃたぶん、このままぺしゃんと潰れたかもしれない。
でも、友人との約束のお陰で、うんとこしょっと重い腰あがる。重い腰が、少しでも上がれば、たのしかった記憶がその腰をうしろから押し上げて、もっとやる気を後押ししてくれた。
あらためて動くには、力多めにいる。
でも、その力は、自分だけで作らなくたっていい。
誰かの後押しや、誰かとの楽しい記憶が重なって、力、多めにわいてくる。
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