夢が苦しかった。
手元から壁に向けて、ぷしっと。ロープを発射。ロープの先についてあったかぎ爪がしっかりと、壁に固定できていることを確認する。
よし。いける。
ロープに安全フックを取り付けて、えいさほいさと壁へと向かう。
たぶん、これが「目標達成型」とよばれる、夢のかなえ方の形なのだと思う。目標をとらえて、そこにむかう道筋を設定する。その道筋に沿って動いていく。
そして、もうひとつ。「天命遂行型」とよばれる夢のかなえ方がある。こっちは、自分の魔法でブロック作りながら空を歩くようなやり方だ(たぶん)。足元にひとつずつ、ブロックを作っていく。できあがったブロックに飛び乗って、また次のブロックを作る。
ブロックばかり見ていると、行き先を見失う。行き先ばかり見ていると、足元のブロック作りがおろそかになる。
始めに目的地へむかうロープを張ってもいいし。足元のブロック作りをたのしみながら一歩ずつ進むのもいい。
……そんなこと思って、目が開いた今日の午後。久しぶりに、頭が動く気配する。
「夢をかなえる」
それはよく聞く言葉だけれど、現実のなかで夢をかなえようとしたときの、めんどくささはなんだろう。
気持ちや感情だけでも夢にはならず。
現実を追いかけすぎても夢にならない。
現実の中では、ふたつのうちひとつ。どちらかを選ぶのではなく、合わせ技で動いていく。ロープを壁に向けて発射し、途中までロープをたどって途中でブロック作りを始めることになる。目標設定もするし、目の前にやってくるものことにもとりくんでいく。
「夢をかなえる」
そこに、必要以上のあこがれを詰め込んでる人のなんて多いことか(自分も含む)。
この形が「夢」と決めてしまって、それ以外の在り方を夢やあこがれだとみとめられない。
周りの目を気にして、夢をなかったことにしたり。夢の形を、一般化しようとし過ぎて、自分が苦しくなっている。
もっと、気楽に。
ロープを張ったり、ブロックをつんでみたり。
無駄に見える動きを楽しみながら過ごしていこう。
目標達成型をとっている瞬間もあれば、天命遂行型の要素が強くでているときもある。説明の都合上、ふたつの型があるだけで、どちらか一方だけしか当てはまらないわけではない。
どうしても、白黒つけたくなる性質を持つから、「すべては混合物である。ぐらーでションをもって変化する」ということを、なんども自分に言い聞かせる。
ぽろんと一瞬、寝落ちした夢の中でみた景色から、じぶんが「夢」を悩んでいたのかと気づく。ちょっと、おかしくなって力が抜けた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?