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頼まれてもないのに。その34(さらば、永遠の「小兵力士」)

※見出し画像はネットからの拾いものです。


15歳で集団来日したものの体の小ささゆえに一人だけ入門先が決まらず。失意の帰国前日、当時まだ弱小だった宮城野部屋への入門が決まる。入門当時の身長175㎝体重68㎏。2001年3月場所初土俵、同5月場所、東序ノ口16枚目、3勝4敗。

これが通算成績1187勝247敗253休、通算勝率0.828、幕内最高優勝回数45回、うち全勝優勝16回、63連勝、22歳での昇進から横綱在位実に84場所という大記録を達成した第69代横綱白鵬のはじまりです。

横綱としての勝星が899勝。900勝の大台にあと1勝を残しての引退。なんと見事な永遠の未完成。むしろ大横綱にふさわしい幕引きとも言えます。

現役生活20年、大変おつかれさまでした。9月30日付で年寄間垣を襲名。今後は後進の指導にあたります。

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もしも小兵力士が190センチ150キロの体格に育ったら。

白鵬というお相撲さんの中には常に小兵力士にしか持ちえない不屈の魂があったのかもしれないなと思ったりします。

今でこそ白鵬の相撲をとやかく言う人たちが一部にいらっしゃいますが、全盛期白鵬の相撲は実に横綱相撲ばかり。もちろん探せば「そうでもないよ」というものも出てくるとは思いますし、記憶補正がかかっているのは否定しませんが、朝青龍が土俵を去ったのちも角界を支え続けた一人横綱白鵬にはまったく死角を感じられませんでした。

白鵬の相撲が変容したと素人目にも感づき始めたのは、あらかたの記録を塗り替え(双葉山の69連勝更新はついに果たせませんでしたが)この偉大な横綱にはもはや目指す目標がないのでは、と思われたあたりからでした。

ある日の土俵。関脇栃煌山に対しまさかの猫だまし。「ああついにすることなくなった横綱が土俵で遊び始めた」私はそう思いました。相撲で許される技の範囲内で、平幕の小兵力士にしか許されないような、いや彼らとてやらないようなあれやこれやが、さてさていったいどこまで通用するだろうか、横綱はついにそんな遊びを始めてしまったのだと。

その頃の事情を知る立場には到底ないので、もしかしたらこのあたりから、引退会見でも言及していたような横綱として理想通りの相撲が取れなくなってしまっていたのかもしれません。それでも横綱の務めとして強くあらねばならぬ、負けてはならぬ、という重責から、勝ち方よりも勝ったという事実を優先するようになったのかもしれません。

横綱の品格。それは同じ横綱という重いものを担い土俵を務めあげることを許されたことのある人たちにしか本当は語れないものだと思っていて、だからこそ彼らが白鵬の横綱としての品格のあり方を批判的に語るのであれば、それこそが綱というものの重みの本質に一番近いものであろうと、私は真摯に受け止めるのです。そこには時代の流れに左右されての価値観の変化など、入り込む余地はありません。

そしてかつ、これは相撲記者のツイートだったように記憶していますが、それぞれの横綱には一人一人に与えられた横綱としての道があり、一人として同じ道ではない、的なことを呟いていた方がいらっしゃいました。

だから白鵬に限らず、一人一人の横綱が在位から歩んだ道というのは、どのようなものであってもみな一つとして同じものなく、固有の運命であり孤独であり、残酷なまでに一切の救いも言い訳もなく、だからこそ大きな意味でその歩みの存在はすべて肯定されるもの、そういうふうに私は捉えています。

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話を戻します。晩年の白鵬はまるで小兵力士のよう、そんなふうに私は思いながら見ていました。そういえば宮城野部屋に所属してはいるものの実質は白鵬の内弟子である石浦に炎鵬も小兵です。白鵬の内弟子で小兵なのはこの二人だけのようですが、よくまあこの二人の面倒を見ようと思ったものだと思いますし、本人たちの努力あってのこととはいえよく二人とも幕内力士にまで育て上げたものだと感嘆します。

今の角界でハングリー精神と不屈の魂を燃やし続けられるのはもはや小兵力士以外にあり得ないのかもしれません。他でもない己が向上しなければ永遠に勝てない、そのためには人一倍の努力をしなければならないというモチベーション、勝てなくなったならば何かを変えなければ、絶えず工夫しなければ二度と勝てないという危機感。

白鵬もまた小兵力士の魂をふるい起こすことで晩年のボロボロな体にむち打ち続けていたのかもしれません。

ただ彼の体はすでに190センチを超え、人一倍の稽古で作り上げた体はまだまだ分厚く柔軟であり、しかも土俵上の誰よりも運動神経が抜群な上、長年の土俵で積み上げた経験の質量は誰もさらにかないません。その人がいくら全盛期の相撲が取れないとはいえ、張り差しや肘打ちのようなかちあげ、小兵力士のやるような立ち合いの駆け引きをしてくるのです。

白鵬自身が抱いていた晩年の自己像と、周囲が時に眉をひそめざるをえなかった客観的な横綱白鵬の姿との間には、もしかしたら大きなズレがあったのかもしれない。今、ふと思いました。

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土俵の内外で現役時代の白鵬が見せてきた様々な横綱としての振る舞いの是非、これは間違いなく賛否両論あります。ただ一つ、これはたぶん一貫して誰も否定しないんじゃないかな、ということがあります。

白鵬という力士は最後まで彼なりの信念と、彼にできる最大限、時にはそれ以上の努力を貫き通した力士であった、ということです。

これこそ正当に評価され、後輩たちが真似をしなければならないはずの、この白鵬の美点、白鵬の内弟子さんたちはともかく、その他の若手ではいったい誰が引き継いでくれているでしょうか。

若い子たちが真似をするのはそれどころか晩年の白鵬のよくないところばかり。15日間を戦い抜くためにうまいこと体力分散させるようなところとか、自分に有利な立ち合いをいかに成立させるかという駆け引きの部分とか、表面的で華やかでラクそうなことばかり。白鵬が横綱に昇り詰めるまでに積み重ねてきた苦しみを俺もなぞって強くなってやるという新たな力士はどうもいらっしゃらないようで。

それは確かに間接的には白鵬のせいだし、そういう意味で横綱というのは常に見本となる振る舞いをしなければならないというのもその通りなのですが、こんなに素晴らしいお手本が身近にあるのに、自分自身を変えなければならないような一番しんどい真髄の部分はスルーして、自分にも労せずにできそうな辺縁の部分だけを真似てしまう感受性の低さ。それには誰も眉をひそめないのでしょうか、苦言を呈さないのでしょうか。

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強い人は大関になる。宿命のある人が横綱になる。

白鵬の言葉です。

強いだけでは横綱になれない。横綱とは宿命によってならされてしまうもの。背負わされてしまうもの。背負うことが幸せとは限らない。だけど宿命を与えられるということは、その先にいかなる宿命が待ち構えていようともこの上ない喜びであるはず。

苦しみを喜びだと、人一倍の苦行こそが誇りだと、これっぽっちも思えない人であればおそらく宿命とは無縁でいられるでしょう。

宿命を受け入れられるほどに深く大きな器を自らの中に育てあげ、凡人には見ることのできない景色を見るという人生。無責任で的外れな毀誉褒貶の数々に振り回されつらい日々を過ごすことも多々あったことでしょう。

つくづく大変なお務めを14年間も。

無理してまでならなくてもいいものをわざわざ目指し、しかも本当に夢を叶えてしまった人たち。そんな物好きたちが各々の胸にしまっていった唯一無二の景色たちに惜しまない拍手喝采を送ります。

さらば、69代横綱。永遠の小兵力士。

願わくば第二の相撲人生もまた実り多きものとなりますよう。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。