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2021/6/24-25(金)犬は二匹いる


先日、獄という漢字から、現代人の私が浅いところで手前勝手に書き散らかしました。今日はその続きを。

獄という漢字には犬が二匹います。言い争いは一人ではできません。相手がいて初めて言い争いは生じます。

これ、二人の人間が似たもの同士、「どっちもどっち」の言い争いをしているのであれば、どうぞご勝手になのですけれど。そうでないことも多々ありまして、というよりもそうでないことのほうが多いかもしれないです。

つまり人間として生きてきた人が、ある日突然「犬」によって言いがかりをつけられ、やむなく言い争いの場に駆り出されてしまうという事例。

怖いのは言い争いを重ねる中で、本来人間であったはずの心が徐々に「犬」のほうに寄せられてしまいかねない、ということ。気が付いた時には犬が二匹そこにはいた、ということになっては、あまりにいたたまれません。

同じ世界に引きずりこまれないためには、本人が人の正気を失わないよう踏みとどまらねばならず、そのためには周りの支援がこれほど必要とされることはないと、ふと思った次第なのです。

あの人に、この人に、今頑張っている人たちに私からもひそかにエールを送ります。

私の心の中にもひそむ「犬」。ふとしたはずみで刺激され、顔を出します。だけど何があったとて最終的な自分の本質は人間であるという誇りを奪われないよう、こらえること。

それ、口で言うほど簡単じゃないだろうという予感はあります。でも、がんばろう。


おまけ。獄という漢字に山をかぶせた「嶽」という字の犬二匹を見てると、これが一転、日本武尊に使える山犬様二匹のように見えてきて、ちょっとほほえましいです。厳しいお山であることは確かだ。

こういうのは漢字の本来の意味を丁寧に調べてから話をするべきで、無知に基づく身勝手な解釈で論を進めるのは好ましいことではないということは重々承知の上にて、頭に思い浮かんだことを前回と今回、書かせていただきました。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。