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2021/4/16-17(土)勇気と感動をありがとうの前にやることあるだろうと


政治家が日本国民を勝手に代表して「勇気と感動をありがとう」と言うのが私はほんとうに大っ嫌いでして。マスコミが「日本人一丸となって応援しましょう」っていうのも同じく大嫌い。とくにマスコミ、あんたらそういう「一億総火の玉」みたいなの一番毛嫌いしとったんちゃうんかいと。軍靴の音自分たちで鳴らしてどうする。ああそうだったね戦前からマスコミこそがそういう役割を果たす機関だった。なかったことにしてるっぽいけど。

なお「ものすごく感動しました」とか「〇〇テレビは日本代表を応援します」というのは当然気にならないし、いいじゃんと思います。

日本人なら日本を応援して当然、日本人の快挙に感動して当然、という決めつけが嫌いなんです。興味ない人だっていっぱいいるでしょ。まあ日本人は「全会一致」にこそ何よりもの価値を置く傾向があるように思うので、仕方ないのかなあという気もしますが。


政治家がこれを言うときに「ああいやだなあ」どころか腹さえ立ってくるもう一つの理由は「いつまでたっても進まない政府の無策状態を、降ってわいた誰かの快挙でごまかそうとするんじゃありませんよ」という点。

東日本大震災や新型コロナで疲弊し消沈している人々を励ますのはスポーツ選手じゃなくて政府の対応と思い切った政策でしょうが。勇気と感動とか言ってごまかしてんじゃありませんよと。勇気と感動で具体的に現状がよくなるんですか。

そもそも勇気や感動なんて。

様々な不幸や苦境にどうしようもなく人が消沈し押しつぶされているとき、本来の良心とは裏腹に、どれほど世間に対しすさんだ目を向けることがあるのか、経験したことも想像したこともないのでしょう。そういう心のすさんだ人たちなど一切「いない」し「日本人として認めない」ことにしないとこういう発言はできません。

何度も言いますが、自分を主語に、自分の感じたままの感動を言葉にすればいいだけの話なのにね。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。