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2021/3/4-5(金)技術も目指す先もなく


数年ぶりにGIMPとInkscapeをインストールしました。ええまったく使いこなせませんよ特にInkscape。ベジエ曲線理解してないもん。これ数学だもんね。ドローソフト使いこなせる人ってすごいわ尊敬する。

なのでフォトレタッチ目的でしかこの手の作画ソフトを使わない私は(使えないのほうが正しい)今後ももっぱらGIMPのお世話になるのでしょうが、昨夜久々にフィルタでいろいろ遊びながらふとクリックの手を止めました。

私、どういう画像を作りたいんだろうなあ……

自分の作ったものは、この文章もそうですが、絵であれ文であれモノであれ、誰かに評価されてこそ初めて作品になるというのはなんとなく感じていることです。完成さえすればなんでも作品なんだというのは、親がわが子の作ったものをなんでもかんでもありがたがるのと同じで、関係ない人から見ればはっきりいってただの、いやなんでもありません。

あーあ今私、幼児の手遊びと同じことやってるなあ……となんだかむなしくなりましてね。

まあ過去にはシュールレアリズムという有難い一派がおりますけどね、自動筆記ですとか。自動筆記で書かれたというブルトンの『溶ける魚』少し目を通したことありますけれど、わけわからんかったなあ。思いがけない表現みたいなのは出てくるっちゃあ出てくるんでしょうが、で?、になっちゃうんだよなあ。

作品が作品として成立するには、ある程度までには成長した理性と、それらが指さす目標の地が、必要なんじゃないかなあ。それらが明確にあると、作品制作のために必要とされる技術はおのずと決まってくるというか。

だけど理性のほうが後から熟成するので、まずは技術だけでも先行して身に着けていくほうがいいと先人たちはなんとなくわかってたのかも。職人さんとかさ。反復ばかりの学校の勉強も実はそうなのかも。

技術も目指す先もないのであれば幼児となにも変わらないやとしょんぼり中。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。