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2021/12/19-20(月)敗者復活をもくろみ続ける者こそ真の負け組なのかも


続き。

そんな回遊から解放されることは勝ち組からの脱落を意味しますが、それはそれでこれほど肩の荷の下りることもないわけです。

勝ち組負け組という言葉の響きだけで嫌悪感を持ち読むのをやめた方もいると思いますが、その嫌悪感こそ「私は負けてないから!」という劣等感の現れなんじゃないのと思っています。人生に勝ち負けがあることを認めてしまうと自分の負けも認めなければならなくなるから。

でも負けってあるんですよ。競争がある限り負ける人は必ず出てきますし、かといって競争が一切存在しない世の中というのは強いものの価値や優位性が一切認められないという無秩序で混乱に満ちた世の中。

植物も動物も生物はみな自分より弱い何かを犠牲にすることでしか生き延びることができないようにできているのに、競争のない世界など存在しえない。

競争の存在を否定するのは自分たちが優位に立てる新たなルールを作りたい人だけだと見ています。今ある競争ルールを破壊し新しいルールを作ろうとしているだけ。その欺瞞にこそまず気づきたい。

そもそも負けること=不幸とは限らず、人生万事塞翁が馬、新たな生き方を模索し新たな場で定住した結果より快適より安全な生存が保証されるかもしれません。当然勝ち組と同じものは手に入りませんが勝ち組が手に入れられないものを代わりに手に入れることができる。

住み分けて共存しあえばいいだけの話です。自らの負けを受け入れ新たな場所で幸せになればいい。あの時の不運な負けは実はむしろ幸せへの分岐点。

人生に勝ち負けなどないとムキになっている人ほど勝ちたくて勝ちたくて仕方がないように思えます。敗者復活をもくろんでいるからこそ目下の負けを絶対に認めるわけにいかない。だから無意識に勝ち組を妬む。いじめる。傷つける。

今いる場所でしか得られない幸せの果実を大事にすること。勝ち組も負け組もお互いに。

それこそが分断ではなく共存なのだと思います。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。