見出し画像

2021/12/12-13(月)スポーツがスポーツでいられるために


箇条書きの形を取って。

私たちが愛し崇拝してやまないスポーツは、人権を尊重し合う自由の国、民主主義の国でしか実現しえない。

そうでない場で行われてしまうスポーツは100%ただの見世物である。

アスリートがアスリートとして尊敬を集められるのはそれがただの見世物にとどまらず、一人一人の人間性が主張され、生かされているから。アスリート=その人自身であるから。彼の人となりがスポーツのパフォーマンスに投影される場であるから。

スポーツは本来興行。見世物。お金を出してくれるお客様あってのものなのだから一段低く見られても本来は仕方のないもの。それがそうならないのはアスリート一人一人が誇り高く、自らの意思を持つ一人の人格として自立しているから。真に誇り高い人たちを低く見る観客など、一部の例外を除いては、いない。

アスリートがアスリートである前にまずは一人の人間であることを、一人格であることを放棄せざるを得ないような事態、そんなものを強制するような場を与えてはならない。それこそが我々社会側の使命である。

私たちはアスリートを愛する。そして敬意を払う。心身の可能性の限界を最大限にまで引き出したそのパフォーマンスの奇跡に。限界に至るまでの想像を絶するであろう努力と忍耐と苦しみのプロセスに。なのに笑い、ライバルたちと互いをたたえ合うその懐の大きさに。

そんなアスリートたちが競技の垣根を越えて交流しあえるオリンピックという4年に1度の場を私たちは美しく思うだろう。上記に挙げた事柄が私たちの手によって守られている限りこれほど輝かしい場はなく、参加を認められた選手たちはその経験を一生の宝物にし、その場を提供する機会を与えられた国もまた自らを誇りに思うだろう。

そんな理想を現実として、未来永劫いつまでも守り続けられることを心から願う。

スポーツの存在が平和をもたらすのではない。良心的な人々による平和が保証されている場においてのみスポーツは存在できるのだ。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。