2021/4/17-18(日)私たちは悲しい人たちを消したがる
ずっと気になってたことです。
何にでも首をつっこんで「おめでとう」、そして「人の喜びを一緒に喜べないなんて」。人の幸せのおすそわけをもらうってこんなに嬉しいのになぜ? という、あまりに無邪気なその言動。
いや喜べないこともあるよ。いつもじゃないけどね。むしろ不愉快なときだってある。相手にもよる、自分のコンディションにもよる。
「おめでとう」教の人たちは、世の中には様々な事情、傷を背負った人たちの存在が見えていないようです。どころか「そんな人たちは存在しない」と、存在そのものを否定し消し去っているようにすら思えます。
人の幸せを喜べない人は、存在しちゃいけないようですね。
そんなバカなことあります?
例えば幼い子どもを亡くしたり、死産流産を経験してそのまま新たな命を授かれない人たちが、他の人たちの新たな命の誕生をどうして喜ばなければならないんですか。
愛する人との死別離別をした人が、誰かの結婚を心から祝えると思いますか。
明日の暮らしもままならない人が、スターの栄光を心から称えられるでしょうか。
もちろん祝える人もいるでしょう。だけどそれって相当精神的に強い人たちだと思います。もしくは相手を傷つけないため必死で喜びを装っているだけか。
誰かれかまわない幸せのお披露目とそのとりまきによる「おすそわけ」に、なにひとつ悪気はないでしょう。無邪気なだけでしょう。ただ一言。愚かで世間知らず、想像力もなければなんの配慮もない、無神経な人たちだなと。
まあね、悲しい人たちの存在などいちいち意識しなくてもいいんだけれど、どんな人がそれ見てるかわかんないんだよ、とだけ。
そしてこういうのをさらに無邪気に広めまくる「おめでとう」教の人たちは、今日も自分が悲しい人たちの仲間入りをしていないことを誇りに思い、いい人でいられる幸せをかみしめながら鼻高々に生きていくのでしょう。
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。