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2021/8/17-18(水)中吊り広告


今朝見た記事。

中吊り広告。この記事を見る限りすでに両週刊誌とも地下鉄車内でしか広告は出してなかったようですね。

都内からもう随分足が遠のいているため山手線の車内が今どのようなことになっているのか私にはわかりませんが、記憶にある最新の山手線の景色を思い浮かべただけでも、あの当時ですら以前に比べたらすっきりしてたよなあという印象です。

さらに20年以上時を戻します。電車内も駅構内も今とは比べ物にならない雑々さでした。下劣な週刊誌の中吊り広告、スポーツ紙のエロ紙面を車内で堂々と広げては全く悪びれた様子も見せない中年サラリーマン、吊り棚に放置された週刊誌をかき集めては駅構内で安く再販売する人たち、拾いものだとわかっていてそれを買う人たち。街中のあちこちがまだなんとなくタバコ臭くもあった時代です。

どれも決して好きな景色ではありませんでした。とくに中吊り広告。わざわざ知りたくもないような醜聞の数々。一方でその見出しの過激さについ目が持っていかれ、うかつに感情をかきたてられてしまいます。下品さこそ最も手早く人の耳目を惹きつけ離さない手段であるのもまた事実なのでしょう。

そういったものがまた一つ減ることは、個人的な心境としてはむしろ望ましいことであり、私にとって公共インフラが女性や子どもにより優しく清潔安全な場へと向かっていくのはとても心地良いことなのですけれど。

清潔安全を願う私の心の奥底に、気に食わないと思っていたものたちが次々排除されていくことを喜ぶ残虐さ、極端に言ってしまえば、己に都合よいものでありさえすればファシズムを受け入れかねない鈍感さ、権力性も、覗き見てしまうのです。

問題の本質が解決したからではなく、本質とは全く関係のない様々な理由によって目の前から追い出され、排除されていっただけ。それらはよそに場所を移動させているだけなのに。

雑々とした気に食わなさが願い通りに目の前から取り除かれていくことへの漠然とした恐怖感を忘れずにいたいです。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。