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2021/3/16-17(水)読ませているのではなく、聞いてもらっているの


note書いてて時々心配になること。

いつもいつもこういう小難しいことばかりいちいち考えてるんですか、と呆れられちゃうのかなあと。いや言うほど心配はしてないな。めんどくさい奴だなと嫌われるのはいやだけど。

だって考えちゃうんだもん。仕方ないよね。

きっかけは感情的なものというか、直感的な身構えというか、そういうものではあるんです。

ん、なんか今のは気持ち悪い発言だなとか、あれ、これってもともとそういう話だったっけとか。

なんか嘘くさいなあとか、ほんとはそんなこと全然思ってなさそうだよねとか。

そのちょっとしたひっかかりを、なんで私はそう思ったんだろうねと追及するのが癖になっちゃってるだけです。

でね、そこそこまとまったことを思いついたら、次は誰かに聞いてほしいという気持ちがわいてきてしまうもの。そしたらどっかに書くしかないでしょ。そりゃまあこれでもいい年した大人ですから、身近な人とっ捕まえていちいち話してたらさすがに迷惑だという程度の常識はわきまえているのですよ。

これは文字だけれども、聞いてくれる人がいるというのはありがたいなと思います。文字媒体なのに、読んでくれてる人、ではなく、聞いてくれてる人、という感じが強くします。なぜでしょね。

いつも聞いていてくれてありがとうございます。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。