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2021/6/21-22(火)この人はどうしてここまで人を信じられないんだろう


池袋での暴走事故の公判。ラジオでもご遺族の方の肉声含め、公判の詳報が報道されており、私もまた怒りの感情と無念な思いをかみしめております。

と同時に、なんでこの被告の方はこんなにも頑なに世の中の人たちや遺族の方々の良識と優しさを信じることができないんだろうかと、索漠とした気持ちにもなるのです。

この事故の一報を聞いた時私は、またご高齢の方の踏み間違いが起きてしまったと悲しく思い、このような形で命と日常を奪われた被害者の方々の無念さを思うと悔しさがこみ上げると共に、長く生きてこられた加害者の人生の総括が己の過失で奪ってしまった命と遺族の方々への償いなのかと思うと、加害者のご家族を含めそれもまた苦しくつらいことであろうと、複雑な思いを抱いたものです。

私たちはいつ被害者になるかわからないし、と同時に年老いた家族がいつこのような事故を起こして誰かを不幸にしてしまうかわからない、それどころか私たちだって年老いてしまえば同じことをしてしまうかもしれない。他人ごととしてこの事故を捉えることはできませんし、今もなおそうです。

そう思ったのはきっと私だけではないはず、世の中の多くがどちらの気持ちにも寄り添ってしまい、誰を責めることもできないという苦しさにさいなまれたのではないかと。おそらくご遺族の方々ですら。

最初は。


被告の方にとって、世間は、ご遺族は、敵なんでしょうか。少しでも己の過失を認めたら最後、地の底まで追い詰めるほどの攻撃をするような、恐ろしく冷酷な人たちとしか、映っていないのでしょうか。

絶望的なまでの人間不信をそこに感じてしまいます。

人って基本的に優しいもの。自分がどれだけ痛い思いをしていても、人の痛みを同時に分かち合ってしまうくらいなのに。そういう人たちの存在に、長い人生で一度も気がつかなかったのかなと。

地獄とは己の心が作り出し己の手で現実化させるものだということがよくわかります。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。