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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『怒りの葡萄 下』スタインベック著~

上巻を上回る感動。まさにこれまで出会った中で最高・最良・最上の作品だった。
全体的な話で言えば、解説にあるように「苦境を切り抜けようとする、情愛深い家族の物語」(新潮文庫 P473)なのだろう。
トムを中心にお母が家族を仕切る形で話は進む。しかし、決して単なる家族愛の物語ではない。もっと社会的・宗教的背景のある深い作品であるように思う。
強く感じたのは、「生ある人間にとっての施しとは何か。人間としての役割とは何か」である。
それが登場人物を通してあらわされている。
例えば主人公のトム。これまで自分が受けてきた仕打ちや感じてきた矛盾をもとに、ケイシーの遺志を継ぐ。農園主に対するストライキを行い、労働者の人権を守ろうと決意する。潜伏生活を視野に、もはや安定した暮らしは望んでいない。
「おれはどこにでもいる---お母が見るどこにでも。飢えたひとびとが食べられるように、みんなが戦うとき、おれはそこにいる。おまわりがだれかを叩きのめすとき、おれはそこにいる。ケイシーが見抜いたとおりだとすれば、怒れるひとびとが叫ぶなら、それがおれのゆく途になる」(P393)。
お母と別れる時の覚悟の言葉。この作品にはこうした心に残る名言が随所にみられる。読者を引き込む心にくい演出のひとつのように感じた。
 
そしてトムを信じるお母。その強さで家族を取り仕切る。お父おして「もう男の言い分は聞いてもらえないみたいだな。お母はとんだ暴れ馬になっちまった。腰を落ち着けたら、ぶん殴ってやろう」(P352)と語らせるほどである。
 
また何より感動的なのは最後のシーン。
濁流から逃れて一家がたどり着いた小屋。そこにうずくまる男の子と父。父は息子のために自らは何も口にせずに瀕死な状況。
そこにお母とシャロンの薔薇との絶好のアイコンタクト。シャロンの薔薇は子どもを死産したばかりにも関わらず、お母の視線に「いいわ」とうなずき、男の子の父に母乳を提供する。
「死」の悲しみを受けた直後に、「生」へ導きを与えてくれた。
 
上巻で感じた寛容か不寛容かなどという次元の低い話ではなかった。
混乱の中にあっての、社会・家族・人間に対する新しい「生(境地)」へのいざない。
一見ホームドラマ風でありながら、そんな奥行き深いテーマを垣間見ることができた。
そこに大きな感動を覚えた。

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