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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『地下室の手記』ドストエフスキー著 江川卓訳~

<<感想>>
解説によると、『地下室の手記』を経過することなしには、後年のドストエフスキーの数々の大作群は今日のような著名な形では存在しえなかったという。すでに『カラマーゾフの兄弟』を読み終えている中で、解説の意味するところが非常に興味深く感じた。
 
タイトルは『手記』だが、「諸君」(前半)と「自分自身」(後半)に対する『独白』で話は進む。
まず「諸君」に対しては「自分(主人公)はどういう思考の人間なのか」を伝えている。
「美にして崇高なるもの」。それが自分自身をあらわすキーワードであり、後半部分での諸々の事件を理解する背景となる。
ひと言で言えば、異常なまでの自意識過剰というのだろうか。その結果として、自分をよりよく見せたいがための虚栄心、そして他との関わりの中での嫉妬心が描かれている。
「人間の本性」、そして「人間の存在そのもの」を「裏側」から見つめた著であるように感じた。
 
特徴的なのは裏側から見つめたその表現力にあると思う。自分の持つイメージを巧みにわかりやすく置き換えている。それが「美にして崇高なるもの」であり「現代の教養ある知的な人間」と自認するがゆえのものなのだろう。
 
基本的に、主人公はロシアプライドが強い。
例えば「われわれロシア人には、一般的に言って、ドイツ流の、ましてやフランス流の現実ばなれした馬鹿げたロマンチストは、かつて存在したためしがなかった」という記載がある。
さらには「わがロマンチストの特色は、すべてを理解し、すべてを見ること、しかもわが国のもっとも実証的な頭脳の持ち主が見るよりもしばしば明晰に見ること」とも。
ドイツやフランスを現実離れした存在と軽蔑し、ロシアの優秀性を訴えている。その一方で、そうした優秀なロシアの中でも自分はさらに明瞭な存在であることを伝えている。
まさに「美にして崇高なもの」ということを言いたかったのだろう。
しかし、人間との関係を断ってきた主人公にとって、現実は厳しい。イメージ通りにはいかない。
さらに極めて小心者であるがゆえに、強く感じる葛藤、焦燥感、劣等感、屈辱感・・・・・・。
 
こうした理想とイメージとのギャップにみる人間の内面性。悲劇性と醜悪性。そして絶望。
確かにこうしたところは『カラマーゾフの兄弟』と似ているのかもしれない。

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