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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『いつもの言葉を哲学する』古田徹也著~

<<感想>>
日頃、医療・介護系の、特に偉い先生方の使われる言葉は難しい!と感じていた。
専門用語の応酬は勘弁してほしい。困るのは人によって、先生方の使われた言葉の受けとり方が微妙に違うケースもあるということだ。さらには、あとで詳しく調べてみると、先生方ご自身の使われている意味合いも意味が異なっていることもある。笑える話である。まさに「日本語の氾濫」である。
著書の中でも、「医療や防疫、公衆衛生などの分野に関しては、その性質上、専門家の言葉はどうしてもパターナリスティック(父権主義的)になりがちだ」とある。
そして「専門家と市民とのコミュニケーションにおける選び取り方や、その説明のあり方といったものについては、大きな課題があるといわざるをえない」ともしている。その結果として、「専門家が繰り出す言葉に市民が振り回され、やがて市民自身が振り回し始める」とも書かれている。
 
一方で、著書にはカタカナ語についての問題提起もある。実は国立国語研究所が2002年から2006年まで「外来語」委員会を設置し、公共性の高い媒体で使用されているカタカナ語176語を別の言葉使いに言い換える提案をするとともに、そうした提案を支える調査研究をしているそうである。
ちょうど自分が介護支援の現場にいることもあり、「ケア」という言葉の提案に注目してみた。
国語研究所による言い換え提案では、「ケア」は「手当」「介護」「看護」「手入れ」などに置き換えうる、とされている。
難しいのは仮に置き換えたとしても現実に使われている中での微妙なニュアンスの違いはある。
例えば、よく使われる「ケアサポート」という言葉。これは「介護」を支援することを意味しているのか、「看護」を施すことなのか、あるいは両方なのか・・・・・・・。
さらにはこれを動詞で考えた場合はどうなるか。「ケア」には「(相手のことが)気にかかる」「(相手のことを)気に掛ける」「(相手のことを)大切に思う」など多様である。
こう考えていくと、特に多面性のある言葉は現場レベルでの置き換えはとても難しい。
 
であれば、カタカナ語をはじめとする言葉のコミュニケーション上の問題をどう解決していくか。
著書には「専門家と市民をつなぐ言葉」という問題提起があった。具体的な事例提案はなかったが、個人的には、直喩や暗喩を通じた「たとえ」が「つなぐ言葉」のひとつであると考える。
ただし、そのためには語彙力が不可欠である。結局は「国語力」ということになるのだろう。
普段からの読書。古今東西を問わず、文芸書を読み込む。おそらくこれに勝るものはないだろう。
一般の方だけではなく、先生方にもぜひお勧めしたい。

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