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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『罪と罰』ドストエフスキー著 工藤精一郎訳~

独白(モノローグ)をベースとした作品が多いドストエフスキーにあって、『罪と罰』は会話(ダイアローグ)を、しかも速いテンポで展開しているのが特徴的である。
特に、3度にわたるラスコーリニコフを犯人と疑う予審判事ポルフィーリィとの言葉のやりとり。
そして、ラスコーリニコフとソーニャの会話。ラスコーリニコフの自白(告白)とソーニャが自首をもとめるシーン。また、スヴィドリガイロフがドゥーニャに告白してフラれるシーン。
それぞれに小気味よく流れる会話のシーンは、まるで映画をみているような錯覚すらおぼえる。
それが、読者を物語に引き込む。
さらに特徴的なのは、推理小説的な文章の流れ。『カラマーゾフの兄弟』の下巻に酷似。長編でありながら一気に読み上げることができた。
 
また、著書のタイトル(『罪と罰』)にあるような二律背反的なキーワードが散りばめられている。そしてその関係性は時間の経過とともに徐々に変わっていく。その変化も見どころである。
例えば、「非凡人(ラスコーリニコフ)vs凡人」。自分は選ばれた人間。非凡な人間。非凡な人間は正義のためなら人を殺してもいい。良心の声にしたがって血を許す。
しらみのような高利貸の老婆アリョーナ・イワーノヴナは殺されて当たり前。「1つの罪悪は100の善行によって償われる」として、アリョーナ・イワーノヴナを殺害し、彼女の財産を社会に還元しようと考える。しかし、殺害の現場を老婆の妹のリザヴェータに見られ、彼女までも手にかけてしまう。その後、ラスコーリニコフは罪の意識におそわれ、心と身体を病んでしまう。つまり、非凡人であるはずのラスコーリニコフは、徐々に凡人へと変わっていく。
 
また、興味深いのは「無神論者(ラスコーリニコフ)vs敬虔な信者(ソーニャ)」の関係。
そして、「二面性・分断・矛盾(「ラスコーリニコフ」という名前の意味)VS神の叡智・絶対の善(「ソーニャ」という名前の意味)」という作品の裏側に見え隠れするキーワードである。
不安と恐怖、良心の呵責に悩んで精神に異常をきたす寸前のラスコーリニコフ。そんな彼に対して、キリストの教え、愛による救いを伝えることで自白を促すソーニャ。「ひざまづいて、あなたがけがした大地に接吻しなさい」とする名言は、こうした関係性の中から生れた愛のメッセージといえるだろう。最終的にラスコーリニコフはソーニャの愛の力(神の力)に引き寄せられ自首することになる。
 
ただ、こうした見方は一面的に過ぎないだろう。もっと作品を楽しむためのいろいろな「仕掛け」がしてあるように思う。そんな奥深さを感じさせてくれる著書であった。

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