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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『橡の花』梶井基次郎著~

筆まめと言われる梶井基次郎の作品。
「梶井は手紙というものを小説よりも大事にしたくらいなんですね。全力を傾けて書いたんですね」(『私の小説教室』駒井信二著 P57)とあるのを思い出した。
 
この作品は哲学的というか、精神混乱・情緒不安定というか。最初読んだ時には何のことが書いてあるのかまったくわからなかった。それでも言葉を拾いながら読み進める中で、なんとなく主張めいたものを感じることができた。
 
キーワードは「心身の健康への渇望」か。それを美醜に置き換えたところに面白さがある。
「私の目がもう一度その婦人を掠めたとき、ふと私はその醜さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです」(新潮文庫 P90)。その文の前には「オークワード(ぶさいく)」という言葉を、暗にその婦人に当てはめている。
その他にも、「電車の中で憂鬱になっているときの私の顔はきっと醜いにちがいありません」(P91)と自身を不健康なもの、醜いものとしているものもある。
 
しかし、その一方で後半になるにしたがって、その表現は穏やかになってくる。
「顔のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。Hysterica Passion---そう云って私はとうとう笑い出しましためてみました」(P107)。
「一年中で私の最もいやな時期ももう過ぎようとしています」(P107)。
夏から秋に向かって、基次郎自身の健康状態が若干なりともよくなってきているように思う。少なくても精神面は、束の間の落ち着きを取り戻したといえるのではないだろうか。
 
最初は意味不明でも、よく読んでいくと基次郎の心の動きがわかる。そこに共感・感動を覚える。
「も一つは新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです」(P106)。
私の中では「あるある」である。
それにしても長い手紙。個人的にはお断りであるが。

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