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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『風の便り』太宰治著~

実話なのか、創作なのか。少なくても大半は事実なのだろう。
結局、木戸一郎は太宰で間違いない。
では井原退蔵は誰か。解説や書評でも話題になる。井伏鱒二という声が多いようだが、志賀直哉説も捨てがたい。
いずれにしろ、太宰は当時の文壇から敬遠されていたことは事実のようである。
 
手紙をみてわかるように、木戸(太宰)は情緒不安定。異常にプライドが高く、一見へりくだっているようで、実は「自分はすごい存在だ」と相手にアピールしているように見える。
心理学用語でいうところの「自己呈示(相手によくみてもらおうと自分を演出すること)」であり、その中の「自己宣伝」である。その一方で時に「自分はかわいそうな存在だ」と「哀願」へと変化する。
 
いずれにしても、面倒くさい存在である。
よく井原は相手にしたものだと思う。しかも温泉宿まで会いに行くとは。
作家としての感性なのだろうか。
木戸そのものにも関心があったかもしれないが、もしかしたら手紙が事実かどうかを興味本位で確認に行ったのかもしれない。その上で、木戸をおちょくることを楽しみにしていたようにも思われる。
 
たださすがは著名な作家。木戸の本性を見抜いていた。
(引用はじめ)
そんなに「傑作」が書きたいのかね。傑作を書いて、ちょっと聖人づらをしたいのだろう。馬鹿野郎。(中略)「傑作」を、せめて一つと、りきんでいるのはあれは逃げ支度をしている人です。それを書いて休みたい、自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです。
(引用終わり 新潮文庫 P298-299)
 
井原は誰か。そして、太宰をどう評価していたのか。
「天才とは、いつでも自身を駄目だと思っている人たちである」(P300)
この皮肉たっぷりの言葉が、すべてをあらわしていると思う。つまり、いい素材を持っていながら、不器用であるがゆえに文壇からは評価されない。もっとわかりやすく言えば、面倒くさい奴は嫌われる、ということ。そして太宰はそのことを自覚していたものと思われる。

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