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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『時間』堀田善衛著~

作者が中国人の視点から南京事件を中心に著したもの。
戦争についての課題図書が続く中でも、特にグロテスクな表現が多く、何度かページから目をそむけた作品だった。さらには前半の時制のズレについていけず、正直言って読むのに少し難儀した。が、ちょうど桐野大尉(最初は中尉)が登場したあたりからようやくストーリーが頭に入り始め、冷静に、この作品の面白さを理解できるようになった。
 
殺、掠、姦、火、飢荒、凍寒、瘡痍(岩波現代文庫 P96)。
この戦争の裏側をあらわすキーワードである。
中でも「殺」と「姦」は、南京事件をイメージさせるものとして作品に頻繁に登場する。
その言葉だけでも、いかに悲惨な状況であったかが手に取るようにわかる。
特に身重の妻と幼い長男との離別による主人公の「絶望と苦悩」。そして最期の状況を聞くにあたって、その思い・悔しさは言葉で言い表すことはできないだろう。
また中国国内でも、兄や伯父の姿からもわかるように、権力者や上流階級は南京から脱出(=逃亡)したり、自ら日本軍に懐柔されようとする。
一方で共産軍の動きはあるものの、日本軍の侵攻に南京市内はなす術もないという状況であった。
 
そんな中にあって印象的なのは、桐野大尉の存在である。
残虐な情景描写と緊張感漂う場面から少し視点が変わる。この作品の潤滑油ともいえる。
「チエッ、ユウウツだな」
桐野大尉の口癖。いったい何が憂鬱だったのだろうか。
そもそも大学教授であるインテリとして、この事件をどうみていたのだろうか。
類推するに、桐野大尉は戦争には懐疑的であったように思う。「殺」や「姦」についてあえて多くを語ろうとしなかったのもそのためだろう。また知識人である「わたし」を丁重に扱おうとしたのも、戦争という枠から離れ、インテリ同士として真剣に議論したかったものと考える。
つまり、反戦を思い描きながらもそれができないという忸怩たる思い。
それが口癖としてあらわれているように思う。
 
中国人からみた南京事件が語られる一方で、戦争に対する日本人インテリの心の葛藤。
そこに、この作品のひとつの面白さがあるように思う。

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