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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『移動祝祭日』ヘミングウェイ著~

当時のパリの日常がイメージされる。スケッチ的というか、情景が容易に頭の中に映し出される。
センテンスが短く描写的であるため、まるで映画の脚本・台本を読んでいるようだ。
であるがゆえか、作品全体としてのストーリーをとらえるのは難しかった。
小見出し(章立て)ごとの展開。しかも登場人物や設定がほとんどリアルであるためか、一見するとわかりにくい。それを補っているのが「注釈」。これまで読んできたどんな作品よりも具体的であったと思うし、並行して読んでいくとさらにこの作品の醍醐味(充実したパリライフ)を感じることができた。
 
当時のパリ。解説にもあるように「音楽、美術、文学、あらゆる面で、新しい芸術を指向するエネルギーが沸騰していた」(新潮文庫P307)。それが作品を読んでいてもよく理解できた。
 
特に興味深く感じたのは「カフェ」の存在。数々のヘミングウェイの作品作成にあたっての下地になっていたように思う。
作品を着想し書き進める「カフェ」。しかしカフェ文化発祥のパリ。人との交流の場でもある。と同時に情報収集の場でもある。
「青い背表紙のノート、二本の鉛筆と鉛筆削り(ポケットナイフだと削りすぎてしまった)、大理石張りのテーブル、早朝の匂い、床の掃き出しとモップでの清掃、それと幸運さえあれば、あとは何も要らなかった」(P131)とはなんともキザではあるが、わかりやすくカッコイイ表現である。
そして執筆中に友人から声を掛けられると「幸運もここまで。こちらは仕方なくノートを閉じる」(P132)と。リズム感にあふれ、テンポよく、躍動感を感じる。そして、集中力が途切れた時の気持ちが伝わりやすい印象的な場面である。
「はた迷惑な野郎だな、まったく」と瞬間的に怒りは感じても、そこから友人との語らいが始まる。
 
ヘミングウェイにとってパリは、思い出深い「移動祝祭日」であったということ。
カフェを筆頭に出会い、語らいにあふれた楽しい場であり、充実した生活空間であったということは間違いないだろう。

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