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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『「空気」の研究』山本七平著~

<<感想>>
「忖度」という言葉。数年前に突然姿をあらわし、今や誰もが知っている。
「他人の心中やその考えなどを推しはかること」(コトババンク)である。
そうした、いわゆる「空気」の存在にメスを入れた山本七平の名著である。
 
「〇〇はそういうものだ」「そうなって当たり前」「そうでなければならない」・・・・・・・・・。
それが事実であるかどうかは別にして、誰が言ったかとか、どういう環境・状況の中での発言なのかとか、われわれの日常生活や仕事の中には何か得体のしれない力によって左右されることが多い。
それがまさに「空気(による支配)」である。
時として、空気的な判断の基準が、論理的判断の基準を上回ることもある。
ある意味でわれわれは、こうしたダブルスタンダードの中に生きているようにも思う。
 
著者によると、「空気」とは「臨在感的把握」とのこと。かみ砕いて言うと、「背後に感じる何か特別なものによって、言論や行動が規定されること」であり、「ある対象と何らかの感情を結び付けて推察すること」ということになる。因果関係の推察が感情移入を絶対化(日常化・生活化)してしまい、そうあることが絶対に正しいと無意識のうちに感じてしまうことを意味している。
 
空気による支配。それは、島国で安穏と時を過ごしてきた日本であるがゆえの、伝統的な、なせる業なのかもしれない。実際に、中東や西欧など滅ぼしたり滅びたりが当たり前に国においては、空気による支配は受け入れられないだろう。日本独特の伝統的な精神文化ともいえるだろう。
 
一方で、日本には古来から「水を差す」という言葉がある。「具体的な目前の問題を正しく口にすることで、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊し、現実に戻す」というものである。
「空気による支配」とのバランスをとるという意味合いもあるだろう。
しかし、昭和初期の「大和魂」全盛の「空気」に対して、当時は「水」が無力だった。それが悲劇を生んだ原因のひとつでもあると思う。
「空気」も「水」も日本独特の精神文化と考えれば、どちらもわれわれの生活には不可欠である。大切なのは、時として「空気」の中に「水」を入れること。つまり、「それはちょっとおかしいのではないか」と、「空気の中に水を入れる」ことが「空気」となる日常を構築することが必要である。
それが開放的で、自由な、新しい日本文化の創造につながると考える。

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