読んだ本・漫画まとめ(2024年2月)

未読残り305冊(2/29時点)

ヒカルの碁

じいちゃん家に眠ってた古い碁盤にめっちゃ囲碁が強い幽霊が憑いてて、そいつが碁を打ちたいというので指示どおりに碁を打っていたら自分でも碁が打ちたくなってしまった話。

子どものころに観てたアニメのひとつ。父親がヒカ碁めっちゃ好きで、毎週欠かさずリアタイしてたし主題歌もかなり聴いていたと思う。
正直あんまり覚えてないかもな~などと思いながら読みはじめたがとんでもない。子どものときの記憶というのはやっぱり鮮明に残っているようで、「詰碁の正答箇所に煙草を押し付ける加賀(たしかアニメだとガムだった気がする)」とか「伊角さんの反則をめぐるヒカルと伊角さんの葛藤」とか「負けるとトイレの個室にこもって一手一手指で壁になぞりながら一人反省会をする越智」とか「初手天元」とか、相当覚えてたね。なんだかんだ好きなアニメだったんだろうな。

中でも佐為が消えるシーンはほんとうにインパクトがあって、これはもともとちゃんと覚えてたんだけど、原作の該当シーンに触れてみて「あのアニメすごくいいアニメだったんだな」と改めて感じたりした。
ヒカルがあちこち佐為を探してまわった果てに、伊角さんとの対局の中で自らの一手に佐為の面影を見出す流れは物語としてあまりにも綺麗すぎて忘れられない。読み終わったあとしばらく話を頭の中で反芻してて、そしたらなんかじわじわ泣けてきてしばらく泣きながら洗濯物を干していた。不審。
あのときヒカルと対局したのが伊角さんなのがまたいいんだよね。塔矢アキラじゃ絶対無理なんだよ。塔矢アキラがヒカルに碁を打たせたいのは実質的には佐為と打ちたいからでしかないから。塔矢アキラだけじゃない。和谷も越智も塔矢行洋も緒方九段も、みんなヒカルの中に佐為(sai)を見てるわけで、ヒカルからしたら「みんなこんなに佐為と打ちたがってるのに、佐為も打ちたがってたのに、自分が打ちたいからって打てなくさせてしまった」っていうみんなに対する負い目もあるし、「そんなん俺がいちばん佐為に会いたいし佐為に打ってほしいよ」っていう個人的かつ八つ当たり的感情とかもきっとあるじゃん。でも伊角さんはほかと違って、あくまでも「あのときあの場所で対局したヒカルと」もう1回打ちたいと思ってくれてたから、そんでヒカルもヒカルという一人の棋士としてあの対局に後悔があったから、ヒカルも受け入れたんでしょう。
ヒカルはこういう経験を経て顔つきがどんどん大人になって美しく成長していくんですよね~~~。美しいとしか形容のしようがない。
ヒカルは内側も外側もすごく変わっていくんだけど、でも初期の(子どもの)ヒカルとたしかに地続きであることを感じられる気がする。わたしは佐為を見てるからそう思えるだけで、佐為の存在が見えない人にはほんとに別人のように見えてるのかもしんないけどね。そこのところヒカルの有識者(幼なじみ)として藤崎さんにご意見伺いたいとこですけど。

大人になってからかなりクソガキ萌えを患っているので、改めて三谷に対峙したらあまりのクソガキムーブに脳天ぶち抜かれてしまいました。好きすぎ。理科室にわざと理科のノート置いて、忘れ物とりにきた体で囲碁部に来るくだり最高だった。そのあと理科の授業ないのバレてること察するところなんかも三谷の詰めの甘さが見られていいですよね。
あと声優さん調べててびっくりしたんだけどフクの声水田わさびさんだったんだね!?!?確認したらヒカ碁アニメが2001~2003年、ドラえもんの声優交代が2005年。ドラえもんの声優交代ってもうそんな前なんだな……。
アニメまた観たいな~~。とりあえず主題歌聴いて過ごそうかな。

シャーロック・ホームズの事件簿

ホームズシリーズで最後に刊行された短編集。
基本的にワトスン視点で書かれているシリーズだけど、今回は2作だけホームズの視点で書かれた短編があって新鮮だった。まぁ逆に言うと新鮮さしかないという話もあり、ホームズの思考がまるごと開示されちゃってるので、ワトスン視点ほどの緩急がないというか、「ホームズまたわけわからんことしてるけど今度はなんだよ?」がないとホームズっぽくないなと感じた。
でもワトスンが結婚したことに恨み言かましてるホームズには笑った。めっちゃキレてて草。
こんな昔の小説に「キレてて草」みたいな感想がするっと出てくるのもすごいことのような気がする。ホームズの奇人さは書かれた時代に左右される要素がなくて、「当時も変なやつだったしいま見てもやっぱり変なやつ」なんだよな。そんで当時も今もみんな、天才奇人が好きなんだ。

バンオウ-盤王-

500年以上生きてる吸血鬼の主人公が、300年の将棋歴を武器に竜王戦に挑むぜ!って話。
この作品マジで好きなのでおもしろいところプレゼンします。

とにかく人外である主人公の、人間(棋士)へのリスペクトがすごい!!
300年の将棋歴と申し上げましたが、要するに300年という歴をもったガチガチの将棋オタクなわけです。たしかに将棋は強いけど、それはあくまで300年という長すぎる経験からくるもので、「将棋の才」と呼ばれるものにはまさに300年熟成された憧れや尊敬を持っている。主人公は竜王戦にアマチュア枠で出場してプロ棋士と対局を重ねていくんですけど、御年70のベテラン棋士と対局したとき相手のことを「デビュー当時(50年前)から推しだった」とか言ってたりして、まさに規格外のオタク!
人外(長命種)特有の強さみたいなものって、古今東西いろんな作品で描かれてきてると思うんだけど、この作品は単に将棋が強いことじゃなくて「好きなものを300年追いかけ続ける強さ」が描かれてると思うんですよね。人間誰しも好きなものがあって、人よりもそれを強く追いかけるもののことをオタクと呼称してるわけですけど、ひとつだけを長く追い続けるのがいかに難しいかって、同じオタクならよくわかるじゃないですか。だからもうまずシンプルに「300年将棋オタクやってるってやべえな」って感情がくるのね。わたしもオタクの端くれだけど、仮に寿命がこれから先500年あるとして、いま好きなもの300年好きでいられるかっていったら自信ないし(これに関しては300年続いてる将棋っていうコンテンツそのものが強すぎるって話もあるかもしれないがまぁそれはさておき)。
加えて主人公はあとから出てきた若い棋士(この場合御年70の大ベテランも若い棋士に該当するでしょう)になんのマイナス感情もなく純粋に「すげえ!これからが楽しみだ!やっぱ将棋っておもしろいぞ!」としか思ってなくて、正直「オタクたるものかくありたいものだ……」みたいな気持ちすらある。この主人公のあまりにも純度の高い将棋が好きだという気持ちが、ほかの人間棋士たちにも波及していって、熱い対局が繰り広げられていくわけですよ。みんな主人公が超強いから熱くなってるわけじゃないの。対局を通じて主人公の将棋っておもしれえ!好きだ!がバチバチに伝わってくるからあてられて熱くなってんの。そりゃあおもしろいって。

300年もの長いあいだ同じものをひたすら好きでいる難しさは、読み手にも想像しやすいっていうところがおもしろさにつながっているんじゃないかなと思いますね。
あと主人公のほかにもうひとり吸血鬼が出てくるんですけど、こいつがマジで「それどういう感情なの?」っていう挙動しててめちゃくちゃおもしろいのでぜひ読んでください。まだ5巻までしか出てないから追いやすいぞ!

DRAGON QUEST―ダイの大冒険―

モンスターの住む島で育った主人公が、島を飛び出し復活した魔王を倒しにいく話。
もともとはドラゴンクエストの世界観を借りた読み切り作品として掲載された話が、人気出ちゃって連載になったのかなという印象。出てくる呪文やモンスターはだいたいドラクエだけど、中には聞いたことないオリジナルっぽいのもある(わたし自身は5しかやったことないので実は本家にもあるかもしれん)。
子どものころにケーブルテレビかなにかでアニメを見たので、アバン先生が初っ端から死ぬとこは覚えていた。
シンプルで熱い冒険譚。倒した敵が仲間になる展開もあれば、最後まで敵対しつつもお互いの強さに最大の敬意を払う姿勢を貫く敵もいる。敵でいえば特にハドラー様は最高で、序盤からは考えられない偉大な敵キャラに変貌する。ラスボスがシンプルに悪である分、よけいに印象深いキャラクターだと思います。
今回はさらに2人のキャラクターに絞って話をします。

まずはバランさん。この人は敵として登場しつつも、主人公の父親であることがのちに明かされ共闘することになるキャラクターで、途中で亡くなってしまうんだけど、物語の最後まで主人公の中で大きな存在感を持ち支えになってくれる。
特筆すべきはやっぱりその最期の一幕。致命傷を受けたバランさんは目も見えず、言葉もろくに聞き取れない状態の中で主人公に対して「泣くな」と言う。このとき主人公は涙を流して、その雫はバランさんの手に滴っていたんですけど、視覚も聴覚も失った状態のバランさんはその雫の感触で「泣くな」と言ったんですよね。
この親子は生き別れて、ごく短い期間しか同じ時間を過ごさなかったわけです。それもそのほとんどは戦いの中で。主人公のダイくんは「じいちゃん」と呼び慕うモンスターに育てられてきて、バランさんを父親としては見てなかったし、バランさんの「自分を信頼しているか?」の問いに「強さだけなら誰よりも」と答えるくらいには戦場以外での関係性は他人行儀だった(バランさんは戦うために生まれた人なので最大級の賛辞ではあるが)。バランさん側も、息子がどういう人生を送ってきて、どういう人となりかなんてわからなかっただろうし、この人出自がバリバリに人外だからきっと想像することすら難しかったと思うんですよね。
そのバランさんが、雫の感触で「いま息子は自分が死ぬことを悲しみ泣いている。これはその涙だ」と考えた。
これ、バランさんがダイくんのことを「たとえともに過ごした時間が短くとも、自分の死を悲しんで泣いてくれる心優しい少年だ」と思ってることの証左だと思うんです。しかもたぶんダイくん自身に対してそう思ってるんじゃなくて、この雫の感触に亡き妻ソアラさんの優しさを垣間見て、ダイくんもきっと彼女の優しさを受け継いでるんだっていう、親子の繋がりを信じた瞬間なんですよ。
そうやって考えたらもうなんか感情がめちゃくちゃになってしまって、翌日目が腫れるくらい泣いた。
屈指の名シーンなのでぜひ読んでください。

そして、この作品を語るにおいてポップという男の存在を無視することはできない。こいつの話もします。
こいつね、すごいんですよ。陳腐な表現であることを承知の上でこのフレーズ使うけど、まず完全にこの作品の「真の主人公」なのね。天才の隣に立つ秀才であり、天才に寄り添う良き理解者・友人であり、誰よりも優しくて臆病で、恋心ひとつに振り回されるただの男でもある。彼にはあらゆる顔があり、そのひとつひとつが物語の中で大きな意味を持つ。そういうキャラクターです。
片田舎の武器屋に生まれたポップは、故郷を飛び出してアバン先生に弟子入りした理由だって「アバン先生が強くてかっこいいから」だったし、アバン先生がいなくなったことでその理由も失って、でも弟子入りして数日のダイくんがアバン先生の仇をとるだなんて言うから、強敵を前にして仲間を見捨てて逃げるようなちっぽけな覚悟しかないくせにダイくんと一緒に旅に出た。あの状況下でポップに残された選択肢は、きっとそれしかなかったから。これが彼の運命の分かれ道で、すべてのはじまりだった。
隣には戦うためだけに生まれた竜の騎士の血を引く勇者がいて、惚れた女はアバン先生のかつての仲間を両親に持つ慈愛の少女、元魔王軍の兄弟子はライバル視するにはあまりにも遠く相手にもされない。こんなやつらと一緒に冒険をするには当然実力も覚悟も足りなくて、ポップは奮起したり苦悩したり努力して調子に乗って失敗してまたへこんだりを何度も繰り返して、ときにはガチで死んだりしながら、最後には賢者に到達する。これは作中でもめちゃくちゃ言われてるんだけどポップは「弱かったのにめっちゃ強くなった」キャラクターなんですよ。作中で最も成長したキャラ。
あとこれも彼のちょっと特異な点だと思うんですが、ポップってアバンの使徒の中でもアバン先生から受け取ったものがほとんどないんですよね。もともとダイくんとポップのふたりは卒業を待たずしてしるしをもらってるんだけど、ダイくんとちがって魔法使いだから剣術は習ってなかったようだし、序盤に使ってた呪文もまぁまぁしょっぱいし。アバン先生の台詞からも、まじめに修業するタイプでもなかったことが伺える。アバン先生ってこいつになにを教えてきたんだろうなっていうレベルで(ていうかそもそもなんで弟子入りさせたのか)。マトリフおじさんに師事してたこともあるけど、ポップの成長の根本にあるのは自らの努力なんでしょうね。この男はどこまでいっても天才になれない秀才なんだ……。(そのポップのことを最終戦で「天才だ」と言ったのはその天才ダイくんなんですけど)
そんなポップは作中においてほかのキャラからの評価もやたらめったら高い。ずっと敵対してたハドラー様にも「素晴らしい人間」とか言われてるし、ダイくんに至っては人間に恨みを持つ敵と対峙したときに「人間にもいいやつはいるんだ!」という主張の流れで「それがこいつだったのに!」とか言って急にポップ個人の賞賛に着地したりしてて、ポップが人間代表なの!?ってなって思わず笑ってしまった。なんなんだよこいつらポップのことめちゃくちゃ好きだな……わたしも好きだからわかるよ………。
ポップってすごい調子乗るしいつもヘラヘラしてるから、みんなポップのことめちゃくちゃ評価してるくせに面と向かって褒めないんですよ。その場にいなかったり気絶してたり死んだりしてるときに限ってべた褒めするの。これあんまよくないことだと思ってるんだけど、というのもポップって普段の態度のわりに自己評価めちゃくちゃ低いのね。そりゃそうだよ。周りバケモンばっかだもん。アバンのしるしも光らなくなるよ!多少は甘やかしてやってくれ。いやたぶんアバン先生にめちゃくちゃ甘やかされてたと思うけどだからこそだよ!(余談だけど、ポップのこういうちょっと不憫なところに若干ナツキスバルを感じる。)
あと先述したバランさんの死後、ポップがダイくんの気持ちを慮って「引き返そう」って提案するシーンがあるんだけど、ダイくんが気丈にもこのまま進むことを選んだのを受けてポップが急にブワーって泣き出して「おまえがそう言うならおれも最後の最後までつきあってやる」って言い出すところがめちゃくちゃ好きで、なんて他人に全力で寄り添える男なんだ……好きだ……と思った。他人っていうかダイくんになんだろうけど。これもすごくいいシーンです。こんなのが隣にいるんだぞ。「人間にもいいやつがいる」の代表例としてポップが選ばれるのもわかるよなあ!?ポップは言葉どおり最後の最後までつきあおうとしてくれたのにそれを拒否して突き飛ばした勇者ダイくん聞いてますか!?ねえ!!
この男を片田舎から勇者の隣に引きずり出したことそれ自体がアバン先生の功績なのではないかとすら思う。アバン先生ありがとう。アバン先生万歳。

ほかにもヒムちゃんとかチウくんとか好きなキャラは結構いるんですけど、さすがに長くなってきたので切り上げます。
ポップはここ最近でもかなりぶっ刺さったキャラですね。もともと天才になれない秀才の概念が好きなので、こうやって書き出すと好きな要素をじゅうぶんに備えていることがわかる。
ドラゴンクエストあんまやったことないんだけどやりたくなってきた。てかダイの大冒険Switchのゲームあるんだよね。やるか~~~~?と思ったけどゲームシステムがほぼソシャゲだったから保留です。やっぱドラクエか。

天幕のジャードゥーガル

イラン出身の奴隷がモンゴル帝国に主人を殺され捕虜になり、知恵を武器に虎視眈々を復讐を狙う話。これはかなりエンタメに寄せたあらすじで、実際はチンギス・カン、フビライ・カンの時代のモンゴルを描いた歴史ものです。
わたしは歴史詳しくないのでいまいちピンとこないんですけど、モンゴル帝国ってすごく熱狂的なファンがいるというか、好きな人はめちゃくちゃ好きですよね。同僚がそうで、これ読んだあとに「絶対好きじゃん!勧めとこ!」と思ったけどよくよく考えたらその張本人から勧められて買ったことを思い出しました。(記憶力カスシリーズ)

まず絵柄がいい。なんとなく手塚治虫を彷彿とさせる、シンプルな線だけど味のある表情のキャラクターがいっぱい出てくる。男女問わずみんなかわいい。
特に主人公ファーティマの笑った顔がめちゃくちゃかわいくて(作中でも笑うとかわいいとされている)、愛想笑いでもめちゃくちゃかわいいのよ。でも生きた素の表情はその何倍もかわいい。ファーティマはとてもかしこい女性なんだけど、そのかしこさを投げ打って感情をあらわにすることもあるし、結構表情豊かなんですね。物語の冒頭、ごく短いページでしか描かれてなかったけど、モンゴル帝国に捕まる前の生活はよほど満たされたものだったのだろうなと思います。きっと伸び伸び育ったんだろうなあ。

あとはなんといってもオゴタイ、トルイ兄弟ですね。
特にトルイには期待をいい意味で裏切ってくるキャラクターで、結構ガチで「うそだろ!?」って思った。トルイにあるのは圧倒的な強さと兄に対する信頼だけなんですよ。そこに裏表なんてものは概念すらも存在せず、ただ彼はまっすぐにあるだけ。かなり人間離れしてるというか、この生まれでこの性質を身につけてることが狂人じみてるというか……。存在がいかにも偉人ぽいし英霊ぽい。
他方オゴタイのほうはというと、王様らしく裏の気配を感じるしまだ人間味がある。トルイとは対照的ですね。トルイの存在が強すぎたので彼の本領はきっとここからだと思いますが、めちゃくちゃ期待してます。この兄弟はほんとに2人揃ったら最強!!って感じで非常によかったです。続きも買いたい。

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