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コトノネが教えてくれたこと。

ありのままであることで、何の役に立てるだろう

『コトノネ』vol.40「森の福祉」の写真を撮影しました。オール下川町8ページの特集です。

「福祉」と聞くと関連して介護や障害者施設などを思い浮かべるかもしれませんがそうではなく、すべての人たちにとっての生きやすさという意味なのだ、と都度説明されていた編集の田中さん。言葉の意味が、取材を終えて腑に落ちることになりました。

下川町は森林を中心に据えた町づくりで有名な町です。
林業の過程で出る未利用材(トドマツの枝葉・ヤニ)を使い化粧品をつくるフプの森や、間伐材を使って作品制作をする木工作家、チップを木質バイオマスにして町内に給電する電力設備を取材しました。
そして最後に、すべてを総括するようなNPO法人森の生活の麻生さんのお話。毎回ほんとうに面白くて仕事そっちのけで膝を打ってしまいます。

下川町では未利用材が化粧品になり、間伐材は木工作家の作品になり、最後のチップはバイオマス発電所で電力になり、森から出るものにゴミはありません。
「すべてが循環の中にあって、すべてのものに役割がある」。
それを人間社会に置き換えて実現できたら。下川町で未就学児から高校生まで続く森林教育の根底には、そんな思いもあるのだそうです。

ふと下川町に住む人たちを思い浮かべる。
いじられキャラだったりしっかり者だったり、本当にさまざま。だけどみんな愛されていて、それぞれに役割がある。ああ下川町の森林も、福祉だったのか。違う角度から見るとスッとつながる。

フプの森

意味のない人はいない。みんなが、世界の謎を解くための大切な1ピース。
わたしはわたしのありのままでいることで、どんなふうに役に立てるだろう。

マジョリティの苦しみと恥ずかしさ


存在は知っていたけれど、初めて手にした雑誌『コトノネ』。冒頭には『障害者の働く姿を通して、生きるよろこびを伝えたくて生まれました』との文字が。

昨今、障害者のことを障がい者と表記するメディアも多いですが、コトノネは漢字のまま。その理由について、「障害があるのは社会だから」と語ります。そういう表記の細かいところに、媒体の姿勢は現れるなぁと思います。子供なのか、子どもなのか。2人なのか、ふたりなのか。注目してみると面白い。


コトノネで撮影した下川町は、2017年にSDGs総理大臣賞を受賞しています。町独自の目標をつくろうと立ち上がった町民たちが、「誰ひとり取り残さない」という文言を、「誰ひとり取り残されない」に変更したと随分前にちらりと聞きました。

理由は、「取り残さない」のままだと、上下関係が生まれるから、ということだったような。
たしかにそのままだと取り残したり選んだりする主権者の側にいることがさも当然のよう。先進国がつくった開発目標だからあたりまえですが。



クィアアイの新シーズンを見ていたら、「性的マイノリティであることを打ち明けたことで家族とうまくいかなくなった。私は自分勝手ね」と嘆く女性に対して、「ありのままでいることを許してくれないほうが勝手じゃない?」とノンバイナリーのジョナサンは言っていました。

マジョリティにいること。

ただそれだけでマイノリティの人を傷つけたり、知らないところで生き辛さを感じさせてしまっている現実があります。

そして世の中に”普通”の人がいないように、わたしもなんらかのマイノリティに属して苦しい思いをしたのに、こと自分がマジョリティになった途端、そうじゃない人たちへの想像力が働かなくなる。マイノリティの人の言葉に触れるたび、厚顔無恥の自分を知ることになります。ああなんて、すばらしい雑誌。

マジョリティであること、そうでしかいられないことの苦しみと恥ずかしさ。そんな自分を認めるように、1ページずつ読み進める。

誌面の中の人たちはことさらに明るく、生きるよろこびに満ち満ちていました。


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