ぎりぎr

ギリギリで生きていたら、お客さんに逆ギレしてしまう。

悦セイストのふらぺちいのです。
3か月ぶりだ。1年前はアホみたいに書き続けたのに。
またアホになるのか。就活しろ。



ギリギリで20年間生きてきた。レポートをやり始めるのも、家を出るのも、間に合うか間に合わないかのギリギリ。ある程度のことは間に合ってしまうもんだから、ギリギリが辞められない。客観的に冷静に私自身を俯瞰したら、ゆったりとした下降線を描いているに違いない。そんなことはわかっちゃいるけど、物事の最中は気づけない。

ギリギリで生きてやっちまった経験が多いのは飲食店のバイトだ。睡眠不足、空腹、未処理のタスクを抱えているままバイトを行うと、ギリギリお客さんに対応できるかどうかの瀬戸際まで集中力を落とすことになる。お客さんをどうもてなそうではなく、空腹をどうしよう、眠いから早く寝たいな、処理してないタスクどうしようと思うことに頭が占拠される。

頭が余計なことに占拠されることで、仕込みがおろそかになる。少ない仕込み量で、なんとか営業終了時間まで持ってくれないかなと祈る。ギリギリ乗り越えられるかどうか。この状況に陥るとたいてい私は逆ギレしてしまう。

まずお客さんが来店しても「なんで来るんだよ」と言いたげな顔をしてしまう。お客さんからしたら理不尽。てっきり笑顔の店員が「いらっしゃいませ」を浴びせてくれるのだろうと期待していたのに、定休日なのに来店した客を見るような目で見てくるもんだから。来店して3秒で気分が悪くなる。

ギリギリで生きてしまうと、お客さんへ配慮する余裕がなくなり、逆ギレしてるような顔になる。それだと私のことを不快に思うお客さんがお店にこなくなり売り上げが下がる。お店に迷惑をかけるのは良くない。ゆえに、余裕を持った生活をしなければならない。


そんなことは、ストレスフリーな生活拠点で頭の中を文字化して整理していたらわかる。しかし、ギリギリで生きているときは、そこまで冷静にはなれない。私の課題は「ギリギリになるのを未然に防ぐこと」と「ギリギリになってしまったときに抜け出せる方法を保持しておくこと」のどちらなのだろうか。


まあ答えは明瞭で、普段から規則正しい生活をすればいいだけの話。無駄に2時まで起きることなく、また早めに家を出ればいいだけのこと。単純明快。でもそれができない。なぜかって?だるいからだよ。そこまで大した人間じゃないから。「大した人間じゃないから」と言って怠けることを正当化するような人間なんだから。どうしようもないね。このままゆるやかな下降線を描いていたら息絶えるのか。それはやだな。まだラーメン二郎を食べていたいしまだセックスの気持ちよさを知らない。せめて知っておきたい。

学校の先生が「規則正しい生活」をうっとうしいくらい説いてきた。私はそれが薄い説教に聞こえていた。図星だったし、正論だし。自分がダメな人間であることを自覚するのは、自分にとって不都合だったから受け入れたくなかった。

当時受け入れなかったツケが、客に「なんで来たんだよ」と思う大学生バイトになって返ってきた。今ものすごく腹が減っている。早く二郎のラーメンが食べたい。早く寝ろ。

規則正しい生活。めんどくせえ。じゃあ自分のレベルが下降線を描く様子を黙って見つめるのか。それも嫌だ。意識高い自分と自堕落な自分がケンカして、収集が付かなくなって、結局なかったことにする。それをし続けて20年。大人になるために、余裕のある生活を心がけようや。よろしくお願いします。頼むな。



#悦セイスト #自堕落 #ギリギリ

シュークリーム(128円)とピザまん(130円)を買いたいです。恵んでください。