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ピアノで得られた自分だけの世界



まず、ピアノとの出会いを話すと
何歳かは忘れたが、3~4才?くらいかな?
たまたまついていたテレビでオーケストラの演奏会がやっていて、
ピアノコンチェルトだと思うが、そのピアノにすぐ目が行き、
「これ!、これ!これがやりたい!」と強く思ったのが始まり。

今思えば、私の人生にはピアノが必要だったから。
実際にピアノがない人生は考えられないし、なければいろんなことを
乗り越えられていなかったかもしれない。
それほど私にとっては重要なもの。

それから私は親にピアノを買って欲しい!と
毎日毎日~~交渉・お願いをしてやっと買ってもらった記憶がある。
どうしても欲しかったから(必要だったから)
今更ながら親には本当に感謝している。

振り返ってみて、ピアノが有る、無しで人生の見え方、感じ方が
かなり違ったと思っている。
感じる心(自分)が育ったと思っている。

音には形がなく目には見えないもの。
だから感覚的に捉えることしかなく、自分はそれに対してどう感じるか、
快・不快をも感覚(心)を使って判断することになるから、どんどん
見えるものだけに頼らない、自分の本当の感覚を見ようとする訓練にもなっていたと思う。

その感覚は、最初はピアノを弾く、ということだけに使っていたけれど
長年(歳がバレちゃうけど、、約40年位かな?)ピアノを通して感覚を使って
過ごしていると、その他の事柄に対しても自然に自分の心の動きや、自分がどう思っているのか、とかよくわかってくるようになっている事に気づいた。

なので、変な常識にとらわれず、世間ではみんなこれが良い事だ。。って
言っているけど私はこう思うなあ~とか
私はこっちの方が好きだなあ~とかってちゃんと自分の世界が内面に作られているのを感じる。

感覚というのは答えがなくて、その人それぞれで感じ方が違うと思うので
まさに、自分の世界であって、形の無い感覚的なものを形(物質化)にする
と自然と自分仕様の世界が構築されると思う(ファッションとかもそうだけれど)
自分を知る上でとても大切な感覚であると思っている。
より一層自分を生きている感覚が強くなる。

そして感覚的な事は自由で枠・制限がないから、楽しくてワクワクして
1人で笑ってしまうことも。
心を育てるととても自分自身を豊かにすることができるという事はわかっている事だけど、本当に幸せ感が増し増しになるという事を実感している。

自分の心を感じれるようになれば、人の心も見ようと、感じようとすることができる。思いやりを持つことが増えるかもしれない。なぜあの人はそういうことをしたのかな?とか。
(的を得ていなくても、感じようとする気持ちが大事。人は
思いがあって形・行動するから)

後は、育てた心をどのように形にするのかが課題になるかもしれない。
思っているだけでは内側に止まっているだけ。
心の中のものをどのように素晴らしいモノにして出すか?
心の中には良いものだけとは限らないので。

感覚的なもの+現実的なもの。。
これで本当の意味でのこの世で生きている、という事になるんだと思う。

今の世の中、現実的・物質的な事に目が行きがちで
心のこと、全ての人が持っている感覚(五感)が失われているように感じるけど
うまくバランスを取って生きていけば、今より生きやすくなるのでは?と感じている。

最後に。
感覚を養うのは、音だけではない。
五感を使うものには、
匂い、視覚、味、など様々ある。

例えば、私も好きだけど、アロマや美術鑑賞、食べるものなどなど。

あと日常で、人との会話の中で、ある意見に対して
あの人はああ言っているが、私はどう思うかな?とか
いちいち私は~?って自分に置き換えたり心を覗いて見たらいいと思う。

私の課題は、どう外に表現していくか、ですけどね^^
今のままでは、お花畑に蝶々が飛んで~って状態だからヤバイかも!?

きっと覗いて見たら楽しい世界が広がっているし
知らなかった自分に会えるのかも!











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