ふたごぼし

99年2月。午後20時。
駅から少し離れたビルとビルの隙間。中央には地下街に続く階段がある。その階段の手前には昼間は路上イベントなどが催されるひらけた空間がある。日中はサラリーマンやビルに入っている百貨店の客でごった返すが、この時間は皆帰途についていていたり、ビルの中で残業していたりと人通りは少ない。
俺はその一画でエレキベースとアンプを広げた。電源はビルのものを拝借する。

子供達は未来に焦がれて歌ってる
彼らに主人はいらない
ただ小さな挑戦者達が叫んでいるんだ
イエーイエーイエー

覚えたてのエレキベースを鳴らして好きな歌を口ずさんでいた。もう、どうでも良くなっていた。

俺は小さな印刷工場に勤めていた。薄給ではあるが、8時5時。定時に帰れる質素な暮らしを楽しんでいるつもりだった。親からしてみれば、大金を出して大学に行かせたのに、なんて言っていた。俺もあんたみたいになりたかったよ。
慣れない肉体労働、騒音、周囲になじめず、それでもなんとかしようと機械操作を覚えようとしていた矢先、鉄板が足に激突して折れて半年間入院した。入院中に小さな印刷工場は潰れてしまった。
なんとかたどり着いた場所さえ取り上げられてしまった。

退院して腐っていた頃、工場勤務時代に友人から買ったエレキベースを家に置いたままにしていることに気づいた。友人の姉が10年以上前に使っていたもので、もう使わないけど小遣いにしたいから2万で買えと言うのだ。友人が会うたびにしつこくせがむので、そこから1万値切って渋々買った。実は俺としてもまんざらでもなかった。一弦試しに爪弾いてみると、好きなバンドのベーシストと同じ音が出た。友人は、気を良くした俺を見て、
「バンドやろうよ」
と格安のギターを鳴らした。
生きる場所を取り上げられた俺を友人が救ってくれる気がした。
しかし、それから程なくして友人は結婚すると言うのでそれを機に引っ越してしまった。長期入院から帰ってきた俺は一人になり、転職活動もしないまま、そのベースをいじる生活を続けていた。
一体何をしたらいいかわからなかった。
今夜はそうしてベースをいじり続けて一ヶ月。
なんとなく一曲弾けるようになった気になって、そういえば駅前で何人か路上ライブしていたなと思い立って、今こうしてベースをちびちび鳴らしている、と言う寸法だ。

「ベースだけだと華がないよな」
目をつぶって歌っているといつの間にか目の前に客がいた。女子高生が寒そうに首に巻いたマフラーの先を手で弄んでいる。背中には学生鞄。見上げると正面のビルから次々と学生が出てくる。ビルに入っている学習塾が終わる頃合いらしい。
「音ちっちゃいし、低いし、聞こえにくいし。ふつーギターっしょ」
彼女がわざわざ聞こえるようにいってる。それが気に入らなかったので、さらに無視して歌った。

子供達は未来に焦がれて歌ってる
彼らに主人はいらない
ただ小さな挑戦者達が叫んでいるんだ
イエーイエーイエー

歌い終わった。小さいベースの音がべんべん響くだけの音楽とも言えない音楽。静寂。
その静寂を破るように歓声が起こった。ここじゃない。女子高生は違う方向を見ている。その方向を見ると、はるか遠くに見える駅前広場に人だかりができていた。あそこはここよりは人通りが多い。今は目の前のビルに入っている学習塾を終えた生徒が帰りのバスを待って集まっているらしい。そこを狙って弾き語りをしている青年がいた。

青年は何やらマイクで語りかけている。
曰く、
自分は起業を考えている。それは君たちを豊かにする事業だ。
それを叶えるにはお金がいるので、こうして弾き語りをしながら全国を回っている。全国を回りながら仲間を見つけて、会社を作って夢を叶えたい。
だからもし支援してくださるならこの帽子にご支援ください、とのこと。 

試しにしばし待って一曲聞いてみると、確かに素晴らしい曲の完成度。機材も一通り揃えて、自分でポップも作ったんだな。彼は本気だ。真剣に生きるとは彼のことを言うんだろうな。

俺はもう一度歌った。友人に教えてもらったバンドの曲を友人からもらったベースで拙く。彼のように本気に見えないかもしれないが。
会社に入って、うまくいかなくて、足を折って、会社が潰れた。
一緒にいたはずの友人も離れた。
でも、その歴史の中で後生大事に抱えていたものを歌った。

子供達は未来に焦がれて歌ってる
彼らに主人はいらない
ただ小さな挑戦者達が叫んでいるんだ
イエーイエーイエー

歌い終わった。青年ももういなくなっていてさっきの人だかりは消えていた。
とにかく静かだった。

目を開けると、女子高生がまだ立っていた。彼女はさっきの青年が歌った後の学生の動きを見ていたのだろう。みんなおひねりを帽子に入れていた。財布を出して、お金を出して帽子に入れて、そして一緒に記念撮影。彼女も同様に財布と携帯を取り出した。そして財布からお金を取り出し、こちらに差し出してきた。
「金なんか出すな」
俺が言うと、彼女がキョトンとした顔をした。もしかしたらさっきの聴衆を見て、路上ライブを見たものはこうするのが礼儀とでも思ったんだろうか。彼女は困ったような顔をして、少し恥ずかしそうに財布と携帯をしまった。
「あんたなんでこんなことしてるの」
女子高生は拗ねた顔でそういった。もしかしたら僕の空っぽの心が透けて見えてバカにしているのかも知れない。ちくしょう。
「知らないよ、そんなの」
俺はもう、自分のことが恥ずかしくなってきた。さっきの歌う青年だけじゃない。彼女だって俺と違って無限の未来を持っている。今彼女が塾に通っているのだって一生懸命勉強して、未来を切り開いていこうとしているからだ。俺とは違う。逃げ回って、今更何かしようったって俺には遅いじゃないか。
なんで今更、人からもらったベースで何かしようと思ったのか。
無意識に口をついて出た。
「だけど、誰かがが俺のことを少しの間でも覚えていてくれていたらいいな、とは思う」
なんだかさらに恥ずかしくなってとっととケースに楽器とコードを入れて、アンプを担いでその場を離れた。
「へえ」
女子高生の小さな声が聞こえた。
「また来なよ。聞いてやる」
女子高生の声がまた聞こえた。
仕方ない。また来なくちゃならない。少しは背筋を貼って弾けるように、いろいろやっておかなくちゃ。
まずは、履歴書を買いに行こう。
ちくしょう。




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