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大人になるってなんだろう

生きてる限り歳を重ねるわけですが、大人になるってなぁに?っていうのは、ずっと付き纏うものだなと思うことがある

十代の頃、父や母はもちろん大人だったし、先生は大人だった

大人になったら人を教えていかないとダメなのかな?
なんて漠然と考えていたのもあって、二十代になった時、教える対象っていうのがないから、まだまだ子供なんだって思っていたんだけれど、30代の今、教える対象があるものの、それでも大人かって言われるとわからない

ワークショップをさせてもらっていると、人生の大先輩たちが生徒として来てくれるんだけど、逆に教えられることっていうのが大きいから、教えに行ってるはずなのに、教えてもらうことの方が多いのだ

それが不快とかそんなことは全くなく、むしろ得たものの大きさに喜びを覚える

今、働いているとことが教育現場に近いことがあり、先生と話すことがある

この先生というのが、私と変わらないし、なんなら私より若い先生が多い
私自身、40歳まであと1年
年はしっかりと重ねている

先生たちをみていると、歳が変わらないわけだから、生徒たちからみて大人の代表なのではなかろうか
その先生をみる『今』のは私はというと、大人ってなぁに?の域なのだ

十代の頃に比べたら体力は落ちたし、視野は広くなったと思う
ただ、漠然と抱いていた【大人】というものにはなっていないし、その抱いていたものというのがぼんやりしていたからか、ゴールも特に設定されていない

早く大人になりたい・・・
とにかく大人になりたい・・・

と、願い続けていた【大人】というものになったのがどうかの判断ができないのは、

子供がいないから?それだけじゃない気がする
やる気がないから?それは十代から変わらない
学ぶ意欲の低下?十代なんてむしろなかっただろ
運動ができなくなった?毎朝筋トレしてんのにできてなくはない

結果的に楽しけりゃいいんじゃねぇの?って行き着く

この『楽しけりゃいいんじゃねぇの?』

この考えに至ったのは最近
30代入ってから毎年この感覚が大きくなって来てて、生きてればなんとかなる、楽しければいい、なんとでもなる
と、割り切ってるというのか、肩の力が抜けるようになった

これが【息がしやすくなった】感覚で、やっと生きてるって実感できるようになったし、なんとなく抱いていた不安というのも程よく解けた感じを受ける
だから、歳とともに経験を積み、ちょっとした自信は持てるようになっているのかもしれない

生理の前はこういう事をずっと考える

何か考えたくなる時期なんだと思うのだが、主に考えるのは『大人って何?』次に『私は何がしたいんだろう』そんな感じ
で、負の思考に行ったら落ちていくだけ

生理が来たらこれらが一気に晴れていくんだから、生理というのは本当に不思議なもんだ
これが毎月くるんだぜ
たまには鬱になっても許してくれや

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