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走ることが嫌いで嫌いで仕方がなかった

スポーツというものを好きだと思ったことはほとんどなかったのだけれど、小学3年の時から高校を卒業するまで、何かしらスポーツをしていた

きっかけは骨折

保育園の時に、雲底から落ちて足の脛の骨を折った
小学2年の時に鉄棒から落ちて腕の関節を折った
ぢどちらも大きな骨を折ったことで、入院が必須であったし、何といってもリハビリに時間がかかった
足は2ヶ月もあれば何とかなったそうだが、腕が1年近くかかったのは30年経った今でも覚えている

そんなこんなで、母が何かしらの運動をして筋肉をつけさせて、怪我を回避させようと、強制的に始めたのがバドミントン
バレーもあったのだが、母がバドミントンがいいよっていうから、何も知らない私はバドミントンを始めたのだ
当時は土曜日まで授業がある時代
昼まで学校に行き、終わって家に帰ったらすぐに学校に戻ってバドミントン
日曜日は朝から夜までバドミントン
訳もわからず始めたバドミントンも、6年生まで続けることができたから、とっても達成感の中退団した

中学に入ってからはソフトテニスに
バドミントンも考えたのだけれど、その時には才能っていうのを痛感していた
強制で入ったとはいえ、才能ある人たちを見ていたら心が折れたというのが本音
で、何で軟式テニスかというと

『勉強をしたくないから』

当時のパートナーには本当に申し訳ない話なのだが・・・
私のこの不純な理由よな
とりあえず怪我を気にしていたのは確かで、そのおかげで、短距離走とか、それなりに走れるようになっていたのだけれど、母から見たらスポーツ万能になって欲しいとかではなく
『スポーツを続けてほしかった』
ぽい
で、続けるなら勉強免除って言われていたはずなんだけど、実際はど説教を受け、中学時代を思い出したくないものとなっております

そして高校に入ったら陸上に
軟式テニスしたかったんだけどな・・・
男子は強豪に入るところだったし、非常に興味はあったのだけれど、当時の工業高校には女子がおりませんで
しかも、唯一いる女子も帰宅部かマネージャーばかり

で、マネージャーになろうかと思ったんだけど、中学時代の先生たちの計らいで陸上部へ
母もマネージャーって言うのには渋い顔をしていたので、結果的には陸上で良かったのではないかと
タイトルに書きましたが、走ることが嫌いだった私が走るという謎な感じになったのは確かですがw

ただし

両親は私の運動に対して『運動している』ことが大事で、どれだけ取り組んでいるかとか、試合に出てるか出てないかとか、靴のサイズがとか、ラケットは変形とか、そう言うのに一切興味がなくて、新しいのが欲しいというととっても嫌な顔をされてたし、年に一回、交渉するも、もっと大事に使え・試合も出てないのに形だけでどうこう・・・と怒られながらスポーツショップに行くのは億劫だったので、ほんっと、スポーツが嫌いだった

試合に出てないわけではなくて、試合に出てると報告をしてなくて、ある日、明日県大会っていうのを伝えたら、靴の新調を言われたけど、流石に新しい靴で県大会なんて考えられなくて断った
伝えなかった私にも責任があるのかもしれないと、何となく・・・今となってはそう思うこともある

弟はサッカーをしていたのだけれど、父がサッカーバカだったので『サッカーはスパイクがすぐダメになる』と、半年に一回新調しているのをみて、どんなスポーツも、靴や道具はすり減っていくのにな・・・とか、色々思うところはあったけれど、父の、サッカー以外は知らん精神に触れることなく義務教育を終えたのだ

今、ランニングをしているのだけれど、半年に一回、靴を新調する
すると、地面を蹴るときに滑らないとか、力の加わり方が変わるとかとかそういうのを今知って、走ることが楽しいと感じ始めてきた
まぁ・・・年齢が40になり、楽しいに反して体力が追いつきませんけども

当時の私はきっと本気度が足りなくて、道具もこれで良いや・・・ってなったし、走るとういう基礎練も嫌いだったんだろう
何をするにも自分の意思って大事だなっていうのを、40年生きてようやく気づいたのだ

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