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竹取物語と竹細工のグリッド

竹取物語と竹細工のグリッド

昨日に引き続き竹取物語について気になる点を書き残しておこうと思います。
昨日は竹取の翁について竹細工職人=サンカではないか?という視点で見ていきました。
サンカってどういう人たちなのか?謎が多いと思います。
個人的には柳田國男さんはサンカの民について「古代難民説」を説いていたそうです。
サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト政権により山間部に追いやられた異民族であるとする説を推しているところがあります。

そして、彼らは徐福と呼ばれる特殊な知識を持った異民族なのでは?と思っています。
徐福は始皇帝の時代に日本にやってきた移民集団を言うそうで、海を越えてやってきた人たちはこの辺りから呪術、祈祷、医薬、占星術、天文学などを広めていったそうです。

サンカの人たちは野山で竹を取り箕(み)と呼ばれる籠(バスケット)を始めさまざまな竹細工を制作していたといわれています。

箕(み)=籠なのですが、竹細工をそのまま言葉の通りモノを入れるためのバスケットと考えてもいいと思います。
でも私は籠の目を編むときに特殊な模様ができるため、それを用いて天文学や占星をしていたのではないかと思うのです。

竹細工のカゴメ


籠目は竹や籐などで編んだ籠の網の目を言います。
wikiによると
籠目の編組の種類には、基本となる六つ目編み、四つ目編み、ござ目編み、網代編み、さらには、異なる太さのひごを駆使した波網代や、麻の葉編み、松葉編み、やたら編みといった装飾的な特徴を高めたものなど、用途に応じて様々なパターンがあり、この籠目を模した連続文様は魔除けの効果があるといわれるそうです。

籠目(六つ目編み)


籠目紋「籠目」

籠目紋「籠目」はそのまんま水星の内合と外合が描く六芒星です。



箕から成り立つ「棋」そして「棋譜」

「棋」という漢字は会意兼形声文字なのだそうで(木+其)から成り立っています。
「農具:「箕(み)」の象形(「(方形をして)整っている」の意味)と「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)から、「整然と線のひかれた囲碁・将棋などの盤」を意味する「棋」という漢字が成り立ったのだとか。

竹ひごを編んで作られた竹細工として、日本の伝統的な箕持ちやすいよう、
手がかり部分には手を通すための穴が設けられている

この箕の文字が将棋の棋譜や囲碁の碁盤目と同じ意味を持っていると思います。
棋譜や碁盤の目のように、同じ間隔で、縦横に平行線を引いて区分した竹の網目です。


碁盤の目のような方格設計:平安京

碁盤の目のように都市を作ることを方格設計(ほうかくせっけい)と呼ぶそうで、道路を方格状(格子状や焼き網状、碁盤目状とも形容される)に配置し、その交点が互いに直角になるよう配置する、都市計画における類型の一つなのだそうです。

7世紀頃以降、政治の中央集権化が進んだ日本と朝鮮半島では、その時代に計画された都市の多くに中国式の方格設計が採り入れられました。
朝鮮では統一新羅の首都である慶州市、渤海の首都である上京龍泉府に唐の中国式方格設計が見られるそうです。
日本では藤原京(奈良県橿原市、694年-710年)、平城京(奈良県奈良市、710年-784年)、平安京(京都府京都市、794年-1868年)のような古都が唐の首都である長安を模して造られており、特に京都は「碁盤の目の街」と形容されるほど方格設計が有名な都市です。

藤原京の復元模型(橿原市藤原京資料室所蔵)

それ以降に建造された江戸(東京)では防衛上の理由から方格設計が避けられ、中心となる江戸城を取り囲むように不規則な街路網が形成されています。後に東京では部分的に方格設計が採られた街が形成されているそうです。

『竹取物語』は、平安時代前期に成立した日本の物語。「現存する日本最古の物語」とされています。
平安時代は延暦3年(784年)/延暦13年(794年) - 12世紀末です。
延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称されるそうです。広義では延暦3年(784年)の長岡京遷都からの約400年間を指しているそうです。
『竹取物語』は平安時代の前期784年~900年ごろの間に作られたと考えられるかな?と思います。


竹細工から惑星のグリッドや幾何学が生まれる

籠を編むときには二つの三角形が織りなす「六つ目編み」が用いられますが、箕は碁盤の目のように、同じ間隔で、縦横に平行線を引いて区分した竹の網目から作られます。他にもたくさん編み方があると思うのですが、今回重要なのは三角形の網目と縦横の網目が作り出すグリッドなのだと思います。

三角形と四角形の組み合わせと言えば、3+4=7「生命の法則」や「太陽系7つの惑星」
3×4=12「12感覚」や「12サイン」「12干支」があると思います。
幾何学的にみると立方八面体=ベクトル平衡体です。

立方八面体は正四面体を膨張(Expand)させた形をしている。
正八面体の膨張は斜方立方八面体である。


立方八面体展開図

上手く考えがまとまらないのですが、私の仮説では竹取の翁は単なる竹細工職人ではなく、秦の始皇帝に時代に特殊な知識と技術を持って日本へ渡ってきた渡来人集団(徐福)の末裔なのでは?と思います。
彼らは竹や植物の蔓を編みながらそれを行商している表の顔と、網目を使って棋譜や芒星星のグリッドを作り山伏や忍者みたいに山野を駆け回り、測量や天文観測をしていたのではないかな?と思います。
時には都市建築にも技術を提供していた人たちで、決して社会の表舞台に出ることのない専門知識集団だったのでは?と考えてみても面白いかも?と思います。


****参考資料*****